2021年6月


大英帝国で育まれたチャリティ思想

山岡 義典((公財)助成財団センター理事長、(特活)市民社会創造ファンド理事長)

新聞広告で見て「これは読まなくては」と思っていた矢先、著者から寄贈いただいた。
金澤周作著『チャリティの帝国―もうひとつのイギリス近現代史』(岩波新書、2021.5)だ。
著者はすでに2008年に『チャリティとイギリス近代』(京都大学学術出版会、2008.12)を上梓し、興奮をもって必死に読み終えたことを思い出す。
翌年には、日本NPO学会・林雄二郎賞と(公財)損保ジャパン記念財団(現・SOMPO福祉財団)・社会福祉学術文献表彰をダブル授賞、高い評価を得た。

今回は、西洋の古代からの歴史を視野に、それぞれの地域や時代のチャリティ的なものやフィランソロピー的なものを概観し、次第に近代以降の英国にズームアップ、微視的な事例を分析・考察する。
当時の世相を語る豊富な文書や絵画で紐解く手法は見事で、特に帝国として世界を支配する過程の中でのチャリティの展開や変容が興味深い。
その一つ「本格的な国際人道支援の起源に位置付けられるのが、第一次世界大戦の休戦直後に誕生したセーブ・ザ・チルドレン」(P.183)との指摘も私にとっては新鮮な発見だった。1919年のことだ。
その指摘に続く具体的な記述は、日本でも1986年にセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが誕生して活躍しているだけに、特に興味を覚えた。
「子どもの権利条約」の100年前の原点を見る思いだ。

本書では、チャリティやフィランソロピーに対する人々の思いを次の3つの心的感情を軸に解き明かす。
1.困っている人に対して何かしたい
2.困っている時に何かをしてもらえたら嬉しい
3.自分の事ではなくとも困っている人が助けられている光景には心が和む

最初の2つの気持ちは直接関与する個人の感情なので分かりやすい。
ただ、3つ目の気持ちは第三者が眺めた社会的感情とも言うべきもので、簡単には分からない。
しかしこれがなければ、チャリティの社会史も文明史も成り立たない。
詳しい事象分析が一段落する度に、これら3つの気持ちを簡潔に要約する。
一休止して振り返り、「成るほど、そういうことか」と読み手の興味をつないでいく。
間奏曲を聞きながら次を読み進む仕組みといってよい。

渋沢栄一を主人公にしたNHK大河ドラマが人気なようだ。
日本の慈善・慈恵・篤志といった伝統的な心的感情が、西洋化・近代化の過程でどのように変容していったのか、ドラマの後半ではそんなことも話題になればと密かに期待する。
先に触れた3つの心的感情の変容プロセスとして読み解いていくと、個別の文明史の枠を超えた何かを発見できるかもしれない。
ぜひ皆さんも、本書を読み込みながら「青天を衝け」を視聴していただくと、
思いがけない隠し味に興味を注がれることがあるかもしれません。

参考 『チャリティの帝国』 https://www.iwanami.co.jp/book/b577714.html
   『チャリティとイギリス近代』 https://www.kyoto-up.or.jp/book.php?isbn=9784876987634

2021年5月


『共感革命』発行に寄せてーリベラルアーツとしてフィランソロピーを読み解いてみる

(公社)日本フィランソロピー協会 理事長 髙橋 陽子

当協会は、1991年より、健全な民主主義社会の基盤にフィランソロピーが不可欠である、という認識のもと、フィランソロピーの推進を始め30年が経った。
フィランソロピーとは、ギリシャ語の人間愛を語源とし、アメリカでは、お金持ちが寄付をする、ということとして広まり、その後、人への愛を込めた社会貢献活動を通して社会課題の根本的な解決に向かう、という意味となり、今日に至っている。
ただ、語源の人間愛がベースにあるとはいえ、人の心に響き、行動へと移ることへの働きかけは、なかなか一筋縄ではいかない。
特に、90年代は、「えらいですね。がんばってください。以上」と言われて終わり。
褒められているうちは広がらないな、ということを思い知らされた。
最近は、随分変わってきたが、それでも、自分事と思ってもらい行動に移してもらうことは難しい。

そこで、30年という節目にあたり、次への一歩を踏み出すために、一般の方たちに向けて、フィランソロピーを、少し俯瞰し、リベラルアーツとして捉えて考えていただければ、という思いで、本を出版した。
これからの社会づくりは、共感を核にしていくべきだ、と思い、タイトルを『共感革命』とした。 
ここでいう共感とは、「属性を超えた人間としての共感」と定義した。
また、リベラルアーツは、一般教養、というように訳されているが、実は、リベラルアーツの目的は、「知覚・思考・実行」のプロセストレーニングであり、知覚を起点とした知的生産のためにデザインされたものだ。
そうだとすれば、リベラルアーツは、実行があってはじめて意味がある。
リベラルアーツとしてのフィランソロピーは、感じ、考え、そして行動する。
しかも、その核には、人間としての共感が貫かれている、ということを、この本を通して伝えたいと思った。

コロナ禍は収束するどころか、ワクチン接種もままならず、当分、右往左往せざるを得ない状況である。
生活の困窮は弱い立場の人をますます追い込み、子どもたちは、その被害を被り、安心・安全を保障されない日々が続く。 
Stay home で虐待が増え、多少経済的に余裕のある家庭では、親と教師が焦り、オンラインでも、塾だ、習い事だと追い立てられているようだ。
その合間を縫って、子どもたちはスマホでのゲームに没頭。
これとて、大人が作ったものだから、「心を亡くす」忙しさをあおっている。
実は、スクールの語源は、ギリシャ語で、本来「暇」という意味を持つ。

近年、特に、成果主義に振り回され、大人も子供も、KPIに追い立てられている。
『共感革命』の中に、野中郁次郎先生の「オーバー・アナリシス、オーバー・プランニング、オーバー・コンプライアンスの三大疫病から逃れて、もっと大きなコモングッドに向かうべきである」という言葉がある。
コロナ禍で、時間が出来た分、大人も子供も、少しぼーっと過ごすことで、人間が本来持つ、感性や知性を取り戻してもいいのではないだろうか。
リベラルアーツとしてのフィランソロピーに触れ、何らかのコモングッドに関わっていただけたら、と願っている。
そのためのコーディネーションを、これからも、丁寧に、心を込めて続けていきたい。

『共感革命~フィランソロピーは進化する』
 発行:公益社団法人日本フィランソロピー協会
 制作・発売:中央公論事業出版
 詳細:https://www.philanthropy.or.jp/books/2021/

2021年4月


コロナで問われる文化政策と「公益性」

(公財)セゾン文化財団 理事長 片山 正夫

今回のコロナ禍にあって、国や地方自治体は、芸術家/団体の支援を目的とした補助金の給付を積極的に行っている。
その規模はこれまでの感覚からすれば、まさに巨額といってよい。
たとえば、文化庁では昨年6月の第二次補正で500億円規模の「継続事業支援」を打ち出し、今年に入って(年度は昨年度)さらに第三次補正で455億円の予算をコロナ支援に計上した。

文化セクターの受けたダメージを思えば、こうした支援は当然あるべき措置といえるだろう。
しかし一方で、その配分については、スピードを重視したこともあるだろうが、やや「何でもあり」の感も禁じ得ない。
この状況だから仕方ないではないかという意見もあるだろうが、事はそれほど簡単ではない。
わが国の公共文化政策がこれまで曖昧にしてきた問題と、実は大きくかかわっているからだ。

そもそも、文化・芸術の振興を目的とした公的資金は、欧米の伝統的な考えからすれば、広大な文化・芸術セクターのうち、「公益性」を有した「非営利」の団体や活動に対して投入されるのが原則だ(現在はもちろんそれ以外の場合もあるが)。
だがわが国では、ここの線引きがもともと極めて不明確であった。
もちろんこれには、日本特有の背景もある。

たとえばわが国では、ハイ・アートと大衆芸術/エンタテインメントとの境界が欧米ほどはっきりしておらず、近年はそのボーダーがますます見えづらくなっている。
また、伝統芸能における家元制度のように、営利/非営利の区分になじみにくい独自のシステムも存在している。
そのため、明確な輪郭を伴った「非営利セクター」が形成されていない。

一方で、非営利法人制度が今のように整備される以前は、実質的な非営利活動が営利法人や任意団体によって担われてきたケースが多く、その状況は今も続いている。
さらに舞台芸術についていえば、大規模な民間非営利団体が極めて少ないため、一定規模以上の公演やイベントは、どうしても営利法人が担うことになる。
事実、芸術文化の振興という観点からみても、営利法人の果たしてきた役割はとても大きいのだ。
これらのことから、各種の補助金・助成金の出し手は、営利法人をその支給対象に加えることにあまり抵抗を感じてこなかった。

今回のコロナ関連の補助金は、個人を対象にしたものも多いが、その場合、さらに線引きは難しい。
「ピアノ教師だが時々地域でコンサートもする」といった例のように、個人にはもともと営利も非営利もない。
だから生活支援との区分がつけにくいのだ。
フェローシップ等を除いて欧米で芸術家個人を対象にした公的支援が少ないのも、そこに理由の一端がある。

さて、このように「非営利」という要件が必ずしも役立たないとなると、当該活動に「公益性」があるかどうか(この点は要件として譲れないだろう)が、公的支援の対象に含めるにあたっての、残る大きな判断基準となる。
しかしこの線引きがさらに難しい。

公益法人における「公益目的事業」の認定の仕方に倣えば、文化及び芸術の振興を目的とし、不特定・多数に開かれていれば、すなわち「公益性」がある事業ということになる。
ただ、これではほとんどの活動が該当してしまう。
(「チェックポイント」の「自主公演」の項を見ると、「質の確保・向上の努力」も一応条件になってはいるが、それをしていないアーティストはいないだろうから)

もっともこれは法人の公益認定の話だから、できるだけ幅広に認める方向で考えるべきであり、このくらいの基準がむしろ好ましいといえる。
だが、文化政策の一環として税を投入するとなると、同じ「公益性」でもハードルは数段高くする必要がある。
つまり、厳格な「質」の査定が行われなければならない。
その際重要なのは、コロナ禍の下にあって、投入する公的資金の「量」を拡大させる理由はあっても、投入先の「公益性」を認定する基準まで平時と違える理由はないということだ。
基準はあくまで、その活動がなくなった場合、それが社会にとっての損失であると確信できるかどうかである。

もちろん、どのような芸術家も、文化関連事業に携わる多くの人々も、それ以前に一市民、一事業者であり、それぞれの生活を続けていかねばならない。
だから、必要の度合いに応じて相応の支援が受けられるべきなのは当然だ。
だが、その話と文化政策を区別なく語ってよいのか?

そういうわけで、私は最近一部でみられる「緊急時だから対象の範疇や質は厳格に問わない」式の゛文化・芸術支援”にはかなり違和感を覚えるのだが、考えてみるとこれは、われわれがこれまで、文化・芸術とは善きものというばかりで、それが宿す「公益性」とは何なのかという問題に関して突っ込んだ議論を避けてきた帰結のようにも思う。
「コロナで文化・芸術が危機だ。思い切った支援を」と叫ぶことも大事だが、いまは、文化・芸術のどのような「公益性」に着眼し、何を対象に(たとえばエンタテインメント産業との切り分けをどう考えるか)支援プログラムを構築していくべきかを整理する好機ともいえる。

2021年3月


コロナ禍における専門家と政治・行政

(公財)公益法人協会 副理事長 鈴木 勝治

1.新型コロナウイルスはいまだに猖獗を極めており、感染者数の相対的な減少、ワクチン注射の実施開始等明るい材料は出てきているものの完全解決には程遠く、さらには第4波の襲来や外国の変異株の動向等が懸念されているところである。
 個人的には、正常性バイアス志向が強いせいか、自然体で生活した結果罹患したならばそれはそれで仕方ないと考えているが、新型コロナを巡る公式・非公式の情報の洪水と、その真偽の不確かさ乃至はいい加減さ、さらには科学的根拠に基づくとは思われない行政等の決断・決定による個人並びに集団の行動への制約に対しては、誰しもが辟易しているのではなかろうか。

2.こうした状況の中、医学者であり現在はサイエンスライターである黒木登志夫氏による『新型コロナの科学-パンデミック、そして共生の未来へ』(中公新書)が、昨年(2020年)
12月に発刊された。
 この本は数ある類書の中でも広範な事実や情報の取捨選択を行い、それらに対して驚くべき率直さで科学的に明確な判断を示しており、一読に値すると思われる(*1)。 
 この本の中では、コロナ禍に対する日本の対応に対するベスト10とワースト10が挙げられているが、その根拠と判断には納得がいく。
 因みにワースト10の中には、PCR検査の不足、厚労省の行政(官)の失敗、一斉休校、アベノマスク、首相側近の内閣府官僚や専門家の役割の過不足、並びにリスクコミュニケーションの無さ等が挙げられている。
 またベスト10では、国民の忍耐、三密とクラスター対応、医療従事者の献身的貢献、介護施設での努力、初期段階における専門家の発言の有効性等が挙げられている。

3.ここで私が注目したのは専門家の役割であり、局面は異なるが、それはベストにもワーストにもなり得る要素を含んでいることである。
 また政治(家)や行政のトップの対応がワーストになる一方、末端の国民や現場における各種の努力がベストとして評価されていることである。
 後者の問題については、政治(家)や行政のトップの劣化(*2)と、それにも拘らず国民や現場の必死の努力による成果であり、これはこれで議論すべき大問題を含んでいるが、本コラムでは直接は採り上げない。
 前者の専門家の役割については、初期の段階ではその役割に効果があったにも拘らず、途中からトップの政治家や行政サイドが介入し、前面に出ることによりその意見が必ずしも通っていないことが本書で問題視されている。
 専門家といわれる人にもピンもキリもあり、往々にして広範な視野や社会的な常識に欠ける人もいることから、その意見を全て重用することは危険があるが、素人の政治(家)や一部の行政(官)が権力を持っているが故に介入し、科学的根拠を示さずに、専門家の示す正しい或いは望ましい道筋を曲げることには大きなリスクがあると思われる。
  
4.コロナ禍の場合は、人の生命と生活並びに政治・経済に直接に係わることから、このようなリスクは絶対に避けなければならないし、その失敗は数字や感覚等で直ちにかつ具体的に表れ、国民が認知できる。
 しかしその他の社会的制度の改正や変更への対応の場合、直接的な影響が直ちに生じることはないことから、それが悪いものであっても直ちに顕示されることがない。
 ただし、こうした形で変更されたり、修正されたりした制度の悪影響は、ボディーブローのように効いてきて、いつの間にかに良い制度や理想、さらには習慣が蝕まれてしまう危険性が非常に大きい。
 例えば先般の「公益法人のガバナンスの更なる強化等に関する有識者会議」についても、その検討過程や結論について、こうした観点からしっかりチェックしないと、いつの間にかにか本来あるべき制度からみて遠くへ来てしまうことがあり得る。
十分自戒して注意すべきことであろう。

 *1 なお、著者は下記の出版物を参考に本書の日本の政策にかかわる部分
   (第6章、第7章)を執筆したと書いているが、これはこれで民間によるタイムリーで
    立派なリポートと思われるが、個人的には本書のほうが、執筆の対象範囲が広く、
    それにも関わらず、コンパクトでかつ分かり易く書かれているように思われ、
    推奨に値すると考えている。
    ・一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)著
     『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』
     (ディスカヴァー・トゥエンティワン、2020年)
 *2 著者は、「コロナ後の世界を生きるためには、官僚制度と官僚の質を
    向上させることが大事である」と歯に衣を着せず直言している。


ガバナンス強化に関する有識者会議のとりまとめを見て ― 今やらねばならないことは

(公財)助成財団センター 専務理事 田中 皓

まだ復興活動が続く東日本大震災から10年を迎えようとしている中、13日の夜半に福島県沖を震源とする最大震度6強(マグニチュード7.3)の地震が発生し10年前の被災地を再び強い衝撃が襲った。
この地震も2011年3月の東日本大震災の余震とのことで驚かされたが、夜が明けると同時に広域での被害が明らかになりつつある。
被災された皆さまには心からお見舞いを申し上げます。

公益法人界にあって衝撃とまではいかないが、昨年12月25日に「公益法人のガバナンスの更なる強化等に関する有識者会議」は、最終とりまとめを発表している。
内容はご高承の通り、
(1)役員や社員・評議員のより一層の機能発揮(外部人材活用の仕組み、組織内部の牽制機能の強化等)、
(2)会計監査人の設置義務付け範囲の拡大(設置基準の引き下げ等)、
(3)透明性の確保の推進
など、大きくは5つの論点と取組の方向性について提言されている。

この内容についてはいろいろのご意見があるところであろうが、一言でいうと、ガバナンス強化が不祥事対策の観点から検討された感が強く、これまで何度も提言してきている現制度の骨格に関する公益法人の運営現場からの問題点や課題(たとえば、財務3基準の見直しや事務処理目面の煩雑さ等々)等ガバナンス強化の原点となる課題についてはまったく触れられておらず、せっかくの有識者会議が誠に残念と言わざるを得ない。

仮に、今回のとりまとめを実現しようとした場合、法人の運営に携わる優秀な人材や外部専門家との連携などが欠かせないが、それを実現するための施策の検討はまったくなされていないし提言もない。
ガバナンスの強化を実現しようとすれば、そのためには経費も必要になり、さらに言えば法人自体の総合力の増強が欠かせない。
その観点からは、現制度の運営を難しくしている収支相償や遊休財産制限等のいわゆる財務3基準といわれる法令上の課題を最優先で解決しなければならない。

制度改革により、それまでの24,300の公益法人のうち新公益法人への移行は9,300法人にとどまり、新制度がスタートした後の公益法人の新規設立件数が毎年100件にも満たない現状は、公益認定法第1条に謳う「民間の団体が自発的に行う公益を目的とする事業の実施が公益の増進のために重要になっている」との認識とは裏腹で大きな問題と言わざるを得ない。

なぜそのような現状になっているのか、その主要な原因はこの10年間の現状分析から明らかになってきている。
(1)には、財務3基準による公益法人の運営の窮屈さ、緊急時や社会ニーズの変化に即応できない財務体質への懸念、
(2)には、新たな事業への取組みを含む各種申請の煩雑さ、それにとられる手間と時間への嫌気。
この課題の解決なくしては、公益法人を設立して公益の増進及び活力ある社会の実現に資するという意欲的な取組みは衰退していくのではないかと危惧されるところである。

当センターに助成財団の新設に関する相談がある。
その初期段階から「公益法人になると大変と聞いているのですが、一般法人が良いのでしょうか?」と言われるケースがあり、公益法人になると大変だ、面倒だ、自由が奪われるというイメージがかなり広がってしまっていると思われる。
それらを払拭するためにも前記の(1)(2)を解消することは逼迫した課題である。
加えて更なる公益活動の活性化に向けては、事前規制の強化から事後チェック強化への転換も必要となってくるのではないか。

2018年の「制度改革施行10周年記念シンポジウム」において採択された「大会宣言」、中でも「財務3基準の関係の是正と提言」における「収支相償の原則撤廃、あるいは収支計算に際して寄附金や運用収入等の非事業性収入の不算入」や「遊休財産の保有制限を最低でも3年度分の事業費相当額に引き上げる」などの実現に向けた具体的な行動を民間公益法人界挙げて起していくことが欠かせない時期に来ているのではないか。
ガバナンス強化有識者会議の最終とりまとめからその感を一層強めた次第である。

ガバナンスの強化と言えば、余談になるが、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の現況におけるガバナンス面からの対応は大変気になるところであり、注目したいと思う。

2021年1月


ESG投資と公益法人

(公財)公益法人協会 副理事長 鈴木 勝治

1.昨年12月20日の日経新聞によれば、政府は国内外から「グリーン投資」を呼び込むため、企業に関連する情報開示を促す指針をつくり、2021年夏までにまとめる成長戦略に盛り込むとのことである。
 これは、世界でESG(環境・社会・企業統治)投資(*1)が急拡大しているのを踏まえ、日本での次世代技術開発への資金流入を増やし、脱炭素の目標達成に道筋をつける狙いであり、他方では、投資家からみて企業のグリーン対応の進捗を把握しやすい開示のあり方を検討する意図とされる。
 この裏では、欧米でのESG投資の急拡大に伴い、英語圏を中心にESGの情報開示の義務化(英国・ニュージーランドの気候関連情報開示タスクフォース(TCFD)の提言等)があるとされている。

2.このように環境対応を重視するESG投資は世界の潮流になりつつあるが、2018年時点の世界のESG投資残高は30兆ドルであるのに対し、日本の場合は200兆円と見劣りしている。
 このため政府は、環境と経済成長の相乗効果を狙いとして、官民をあげてグリーン投資の拡充を行い、経済の下支えも行う方針で、「ESG金融」や「グリーン国内総生産」などの新しいtoolや指標を作る方針とのことである。

3.このような状況の中で、我が公益法人界の現状はどうであろうか。
 2020年12月に内閣府から発表された2019年度の公益法人の概況調査(*2)によれば、公益法人の現在保有する資産はおよそ28兆円とされている。
そのほとんどは、預貯金や国債、ストレートボンドであると思われ、いわゆるグリーンボンドはnegligible smallではないかと推測される。
 このように現状では、ネグリジブルであっても、資産全体は28兆円もあることから、上記のような潮流に対し、無関心ということは、公益目的事業を行っている主体としては許されないのではないかと考える。

4.ESGと似て非なるものにSDGsがあるが、偏見乃至は浅薄な理解と思われるのを承知で私見をあえて言わせていただくと、前者は目標が明確に定まった投資・行動指針であるのに対し、後者は17の相互に矛盾する恐れがある目標の総花的羅列であり、民間が取り組めない目標もあるなど実践の際に、ハタと困る目標も含まれている。
 言うまでもないが、SDGsの17の目標の中にもゴール13~15(気候変動・海洋・生態系・森林)などはESGと同様のものが含まれていることから、仮にSDGsの信奉者であってもESGの遂行とは矛盾することは全くない(*3)。

5.昨今の異常気象は、地球温暖化によるものと言われ、新型コロナウイルスについても、無暗な開発の結果だとする見解もある。
 私たちは、このような状況下においては、いろいろな目標を掲げるのではなく、このような問題の解決に最も有効とされる環境問題一本にしぼって真剣に取り組む必要があるのではないか。
 その意味では、我々公益法人界も自らが行う公益目的事業が環境対策である場合はもちろんのこととして、そうでない場合でも、保有する資産の投資をESG債等に向けるということを検討してもよい時期に来ていると思われる。
(因みに、当協会では、来年度に向け、ESG投資についての研究会の立ち上げを、企画中である。)

*1 ESG投資そのものの簡易で明確な説明・解説については、当協会の機関誌『公益法人』2020年12月号、小林立明氏による「ESG投資の発展と公益法人」をご参照。 
*2 内閣府「令和元年 公益法人の概況及び公益認定等委員会の活動報告」(令和2年12月)をいう。
*3 政府のSDGs推進本部による「SDGsアクションプラン2021」(2020年12月)の見解の中にも、2021年の8つの優先課題に関する主な取組の5と8の中に「ESG投資の拡大」や推進が書かれている。

2020年12月


100年先を見据えた地球規模の偉人 渋沢栄一

太田 達男((公財)公益法人協会 会長、(公財)渋沢栄一記念財団 監事)

昨年の年末年初、誰がこのような事態を予測したであろうか。
新型コロナ禍は、意外にも脆弱な近代社会の姿を世界中の人々は気が付かされた。
我国でも医療体制の限界、IT活用の未成熟、経済格差のもたらすひずみなどに国民は認識を新たにしたといってよい。

しかし、過去からの歴史において、ペスト、コレラ、結核、天然痘など、その時代、時代において猛威を振るった感染症を見事に克服することできた人間には、無限の叡智がある。
必ず新型コロナとの戦いも、間もなく過去の歴史としての記録にとどめる時が来ると信じている。

さて、「私ヲ去り、公ニ就ク」思想を唱え、民間人として近代産業国家の礎を創り、また非営利組織の活動にも尽力した渋沢栄一は、2024年には新1万円札の肖像として登場することが決定、また栄一を主人公とするNHK大河ドラマが年明けの2月から始まる。
偉大なるフィランソロピストとしての側面も、どのように描かれるか楽しみだ。

栄一が、関東大震災のとき民間セクターを結集し、震災直後の緊急支援のための内外資金の調達からはじまり、中長期にわたる東京の新都市計画作成と実施に、リーダーシップを発揮したことはよく知られていることだ。
また、感染症だけを取り上げても、1879年(39歳)コレラ大流行の際に、臨時に立ち上げられた保健団体の民間側委員として活躍したのを皮切りに、1913年(73歳)には、当時不治の病と恐れられた結核の予防、治療を目的として設立された日本結核予防協会の副会頭(のちに会頭)に就任、そして逝去の年1931年(91歳)にはハンセン病対策のための癩予防協会設立発起人、設立後は会頭を務めている。
(渋沢栄一記念財団渋沢史料館館長・井上潤氏提供資料)

私が感銘するのは、財団法人などの代表に有名人が名前だけを貸すのではなく、その目的事業に心から共鳴し、自ら率先して栄一は資金調達や啓発活動に身を投じていることだ。

コロナ禍に打ちひしがれている現在、もし栄一が生きていたらどう行動するだろうか。
もちろん仮定の問題には答えられようもないが、栄一の研究者として第一人者の木村昌人・関西大学客員教授(元渋沢栄一記念財団研究主幹)は、栄一なら短期、中期、長期の3段階で対策を立て、行動する筈だという。
そして、民を代表し人命を最優先することを明言し、そのため経済界は全力を尽くすことを宣言するだろうという(同氏著『渋沢栄一 ―日本のインフラを創った民間経済の巨人』より)。

栄一は、500以上の企業設立や経営に携わったと言われるが、関係した非営利団体の数もおよそ600にも及ぶという。
その分野も社会福祉、国際親善、大学等教育機関、病院、学術研究、産業振興など多岐にわたり、自らだけでなく広く経済人からの寄付を集める偉大なファンドレイザーでもあった。

NHK大河ドラマ「青天を衝け」の脚本家大森美香さんは、「日本を代表する実業家という表現ではとても収まらない、100年先を見据えた地球規模の偉人をわかりやすく視聴者に見ていただけるよう努力している」と語っている(12月12日朝日教育会議シンポジウム)。

栄一の旧邸跡地飛鳥山に所在する渋沢栄一記念財団の史料館が、この度全面改装しこの11月にオープンした。
三密回避のため今は予約制となっているが、一度は訪れ巨人の足跡を辿っていただき、大河ドラマと併せて楽しんでいただきたい。

2020年11月


「社交」~山崎正和先生とサントリー文化財団~

(公財)サントリー文化財団 専務理事 尾﨑 勝吉

サントリー文化財団は、サントリー創業80周年の記念事業として昭和54年に設立された。
その初代理事長となる佐治敬三が山崎正和先生と出会ったのは、昭和50年頃だったと思う。
当時佐治は、経済成長のなかで、物の充足を求める社会から、心の豊かさを求める社会への変革の必要性を感じていた。
そのための一石として❝文化全般に貢献する財団を大阪につくろう❞と考えていた時期、文化の力を駆使して関西復権の実現に精力的に取り組んでおられた山崎先生と面識があったことは、この上ない幸運であった。
このご縁がなければ、サントリー文化財団は誕生していなかったか、そうでなくとも今とは全く異なるものになっていたに違いない。

当財団は、「国際化、情報化、高度大衆化社会の時代に応えて、それを支える学術研究の育成、文化活動の振興ならびに国際理解の推進に寄与する」というその目的や事業内容だけでなく、組織のスタイルまでも、山崎先生の構想が基盤となってできている。
そして、その基本的な枠組みは、設立以来、40年以上が経過した今も、ほとんど変わっていない。
「サントリー学芸賞」は、財団設立時から毎年、学際的・国際的な研究・評論を行う新進気鋭の研究者や評論家を顕彰し、「サントリー地域文化賞」も、全国各地の意欲的で高い志を持った地域文化の担い手を顕彰し続けている。
海外における日本理解の促進を目的とする「海外出版助成」や、ジャンルを超えた学際的な研究を行う若手研究者に対する「研究助成」といった事業も同様である。
そして、「事務局の人数を極小化して、一人ひとりの裁量をできるだけ大きくする」といった身軽で機動力を備えた組織の設計も、山崎先生が当初構想されたときのまま、変わらず維持されており、その先見性・緻密さには、ただただ感服するよりない。
お聞きしたところによると山崎先生はこれらの構想をわずか一晩でお考えになったという。

しかし、山崎先生の構想の素晴らしさは、こういった事業や組織だけに留まらない。
むしろ、これらの事業活動や組織運営全般に通底している「社交の精神」にこそ、その真髄が
発揮されていると思う。「社交する知性を求めて」、それはかつてギリシャのアカデメイや、
フランスのサロンで見られた営みである。
例えば、前述の「学芸賞」や「地域文化賞」の〝贈呈パーティー〟や、助成先の若手研究者が全員参加し専門分野を越えてお互いに意見を交わしあう〝研究報告会〟、研究会・選考委員会が終了した後に催される〝懇談会〟など、当財団の活動には必ずといっていいほど人と人が
交わる場が組み込まれている。

実はこの知的交流を大切にするスタイルこそが当財団の大きな特徴だと考える。
それはサントリーらしさでもあるが、山崎先生の強い思いによるところが大きい。
社交の意義を誰よりも深く理解していた山崎先生は、財団の設計時から、それを重視するスタイルを追求し、あらゆる場面に埋め込まれた。
社交の場に参加された方々は、新しい気づきを得るだけでなく、新たな人脈を形成し、それをまた、次の社交の場に繋げていく。
その永続的な繰り返しによって人脈はますます広がり、思索はどこまでも深まっていく。
「学芸賞」も「地域文化賞」も、贈賞しておしまいではなく、そこからがスタート。
受賞者との交流を継続発展することで、さらに新たな人脈や気づきが生み出されており、「海外出版助成」や「研究助成」も然り。また、当財団が自主的に開催している研究会も、世代や専門領域を超えて人々が集い、知的な関心や興味をぶつけ合うことで新しい気付きを得るための貴重な場になっている。
当財団は、財団(fund raising)というよりむしろ人団(friend raising)と表現した方がふさわしいと自負しているが、これも山崎先生の構想に因るものと、改めて気づかされる。

今、日本はどこに向かっているのか。世界は。人類は。
まだまだ、その慧眼に触れ、示唆に富んだお言葉をお伺いしたかったが、それはもう叶わない。
山崎先生のように大所高所から全体を俯瞰し、真実に深く切り込み、その先を見通すことなどは到底できない。
しかし、多くの人々が集い、広く意見を交わせるような場、知の交流のためのサロンを提供し続けることで、先生の求められていた文化を基礎とした豊かな社会の実現に少しでも寄与したい。
山崎先生の志を引き継いで、当財団の活動をますます発展させ、永続的に社会に貢献していかなければならない。
その重責を思うとき、たとえ社会が新型コロナウイルス感染症拡大の混乱の中にあっても、私たちはこの❝社交❞というスタイルを拠り所にし続けるのだと、意を新たにしている。

2020年10月


コロナと公益法人

(公財)公益法人協会 理事長 雨宮 孝子

2020年10月6日、WHOの発表によると世界の人口の10%がコロナにかかっているとの推測がなされた。
世界の人口は約77億人。10%となると7億7,000万人。
本日付で発表されている世界の感染者数3,800万人、死者108万人である。
確認されていない感染者が7億3,200万人はいるということか。
日本では9万人が感染し、1,638人が死亡している*1。

歴史上の同じような感染症の例としては1918(大正7)年以降のスペイン風邪があるが、(その数値について諸説あり)当時の総人口の4分の1にあたる5億人が罹患し、1,500万人~4,000万人が死亡したようである。
我が国の様子について、スペイン風邪の第2波の時、帰国前にシンガポールに寄港した巡洋艦「矢矧(やはぎ)」の乗組員が感染しており、これが横浜に停泊したクルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」の集団感染に類似していると指摘されている*2。

コロナの影響は世界中の人々の社会生活に入り込み、感染を防ぐためには、早期のワクチンの開発が望まれ、どの国もその対応に追われている。
我が国では2020年の1月末ごろから発生が現実化し、三密を避け、マスク・手洗い・うがい、外出自粛のもと、コロナ禍の収束がいつになるか不安のまま日常生活、経済活動等が行われ、その間隙をぬってGo To TravelやGo To Eatの動きがなされている。

公益法人の活動はどうであろう。

公益法人協会では、公益法人の運営等に関し、毎年、公益法人格選択の動向や寄附税制、ガバナンスコード等に関するアンケートを行っている。
公益法人協会発行の機関誌『公益法人』10月号で、そのアンケート概要報告をしているが、これらの質問のほかにコロナウイルス感染拡大による影響等について聞いている*3。

これによると、アンケートの実施時点の6月で、影響が出ていると回答したのは80.5%に及び、事業の損失状況では、「財政破綻寸前の状態」「大幅なマイナス影響が発生」「一部マイナス影響が発生」の3項目の合計は、868件(72.3%)に及ぶ。

特に、事業型の公益法人は、セミナー、コンサート、イベント等ができず法人の収入がまったく入ってこない。
公益法人協会の主要な事業である相談室に寄せられている相談も、コロナ関係が多い。
中でも例えば、クラシックコンサートを行っている公益財団法人は、メインの事業であるコンサートが実施できず数億円単位の赤字になっているところが現実にある。
助成金、寄附金、持続化給付金など収入の努力を行っても億単位のマイナスは避けられない。

公益財団法人は、純資産額が2期連続300万円を下回ると、解散するというのが一般法人法の規定である(同法202条2項)。
次年度もコロナの影響が終息するかどうかわからない状態の今、この規定により解散を余儀なくされるのは、大きな問題である。

10月14日、コロナの影響で航空事業が縮減されたANA(HD)に、日本政策投資銀行等5銀行から、資本とみなされる劣後ローンで融資を受けるというニュースが流れた。
ANAを存続させるための政策である。

公益法人でも同じ考えは取れないであろうか。
つまり、2年目も純資産300万円を切る法人に劣後ローンが認められる場合、今後の法人の努力もさることながら、コロナ禍という国難に際しては、時限的でも行政庁の柔軟な配慮を望みたい。

もちろん、公益法人界も知恵を出し合い、今後社会にとって重要な活動を行う公益法人の解散は防ぎたい。
このような事態が今後も起こるとすれば、財務三基準のうち、収支相償や遊休財産規制に対しても改良の余地があると思われる。
国の補助金の支出も重要だが、公益法人制度の見直しに一段と踏み込む必要があると考える。

 *1 WHO公式サイト(10月15日現在)
    https://extranet.who.int/kobe_centre/ja/covid
    厚生労働省公式サイト(10月15日現在)
    https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/kokunainohasseijoukyou.html
 *2 本郷和人・井沢元彦『疫病の日本史』(宝島社新書、2020年9月24日)、
    磯田道史『感染症の日本史』(文春新書、2020年9月20日)
 *3 『公益法人』2020年10月号21頁以下に記載されている。
    アンケート発信件数5,996法人、有効回答数1,515法人(25.3%)。

2020年9月


将棋と読書とAI

(公財)公益法人協会 副理事長 鈴木 勝治

将棋の藤井聡太七段(新八段)の活躍が目覚しい。
筆者もヘボながら小学生の頃から将棋を指し、20代の後半には大いに熱中し、プロの指導を受けたりして、日本将棋連盟よりアマチュアの段の免状を拝受しているので、一応のことは分かっている心算である。
しかし、藤井八段の出現には、過去の天才達(加藤一二三、中原誠、谷川浩司、羽生善治等)との比較からみて、大きな差異があり、大いに驚いているところである。

その差異は、
① 定跡を越えたあっと驚く手が決定的な場面で出現すること
  (これは、AIでの学習と関連しているとされている)
② 対局後の感想戦等において既に十分な大人の語彙で明確に語ること
③ 終盤の寄せの読みの早さ(他のプロの3倍といわれている)と深さ 等々である。

このような真の実力を持った18歳がこの世に出現し、成果をあげていることは、お調子とフェイクだけでのし上がり、成果もあげずにまた責任もとらない大人の多い現代の世の中においては、一陣の涼風が吹いた感じであり、個人的には長生きをし、これを見られて本当に良かったと心から思わせるものを持っている。

上記1の①~③の事象とその原因については、雑誌や出版物で多くが語られており、専門家でも藤井八段の知り合いでもない私が言及する限りではない。
ただ、自分でも理解できると思われる②について述べれば、以下のようなことではないか。

即ちこのような語りができることについては、幼いころからの膨大な読書量、それも子供向けの本ばかりではなく、大人の読み物ないしは教養書として読まれるものが含まれており、それらを読みこなしているという点である。

立派な大人となる基本はこうした基礎に基づいていると考えられ、冗談で藤井八段はもう人生の2回目(1回目は読書による人格や教養の蓄積・形成、2回目は将棋指)を生きているといわれるのは、こうしたことを言っていると思われる。

これは天才的な個人の話ではあるが、私自身は公益法人界に準えてみると、このような藤井物語は参考になると考えている。
それは自らが行っている公益目的事業について、その基礎を初心に帰ってしっかり勉強し、それを常に持続学習すべきということであり、具体的には関連法令は勿論のこととして、欧米諸国の制度や活動ならびに日本における他の非営利法人の世界の動向等を謙虚に学び、それを自らの考えで行動に活かしていくということではないかと思われる。

本稿では詳しく言及していないが、藤井八段はAIを使ってもそれを鵜呑みにせず、自分の頭でその是非を考えて実行すると言われており、プロもあっと驚く手もその中から生まれているとされている。

我々も自分の頭でよく考え、その考えたことを従来の慣習や規制、さらには行政庁の動向等に拘わらず、敢然と実行していくことが輝かしい将来のためには必要なことと思われる。