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2016年4月


再考・評議員会

片山 正夫(公益財団法人「セゾン文化財団」常務理事)

3月決算の公益財団法人にとって、新年度に入った今ごろは何かと慌ただしい時期である。
決算作業に続いて、5~6月の理事会・評議員会に向けての準備が本格化するからだ。

人手の少ない多くの法人にとっては、ボードを2つも運営していく負担は決して小さなものではない。もちろん負担であっても法律で決まっているとあればやらざるをえないわけだが、問題は、評議員会の存在が法人の適正運営に役立っていると感じている現場の実務担当者が、一体どれだけいるのかということだ。

評議員会が意思決定機関として重要事項を決議し、理事会の業務執行を監督する今の制度は、主務官庁制の廃止に伴う自律的なガバナンス強化への要請から導入されたものである。同時に、一般企業におけるガバナンス重視の潮流を受けたものでもある。

だがそもそも公益法人におけるガバナンスとは何を目指しているのだろうか? 不正を見抜き、不祥事が起こらないよう防止することだろうか? 

もしそうした機能を重視するのなら、評議員会の設置効果は少々疑わしい。じっさい企業で起こっていることをみれば明らかであろう。先の東芝不正会計事件でも、衝撃的だったのは、東芝が日本を代表する名門企業であったからだけではなく、同社がほとんど最初の委員会設置会社であったからだ。ガバナンスにはとりわけ熱心な会社だったのである。

一般論として言えば、非常勤の社外取締役に、周到に仕組まれた執行の不正を見抜くことなどほとんど不可能に近いだろう。むろんそのことは、企業経営者の側も内心では解っているはずだ。いわばアリバイ作りのために、コーポレートガバナンス・コードに従ってみせているというのが本当のところではないか。

もうひとつ、公益法人のガバナンスに期待されるのは、執行が正しい(すなわちミッション達成に向かう)方向に向いているか否かを監督し、向いているのならこれを支援し、向いていないのならこれを正すということであろう。これは非常に重要なところだ。けれども、評議員会を設置しなければこれができない、あるいは評議員会があることで初めてこれが可能になると、なぜ言えるのだろうか?

公益財団はすべて理事会が必置となっている。そこには通常、「業務を執行する理事」と、「業務を執行しない理事」がメンバーとして存在している。そしてそのどちらもが、理事会において業務執行に関する決定をおこなうことになっている。ところが実際には業務を執行しているのは、いわゆる「事務局」であり、少なくとも日常業務においては、執行の決定は「事務局」の代表者(肩書きはさまざまである)によっておこなわれている。

そうであるなら、実態どおり、「事務局」代表者のみを代表理事=業務執行理事として執行責任と権限をそこに集中させ、理事会は代表理事以外すべて外部の理事によって構成すればよいのではないだろうか(多くの場合、現状はすでにこれに近いだろう)。そして法人の方向性や経営における重要事項の決定と、代表理事の業務執行にかかる評価をその場できちんおこなうようにすれば、このうえ評議員会という機関は必要ないはずだ。

もともと財団の評議員会は、社団法人における社員総会と違って、その正統性(legitimacy)自体が大いに疑わしいものだ。「出捐者の意思を体する」機関だともいわれるが、もとをただせば「中立の立場にある者」が参加する委員会によって選定されたメンバーに、「出捐者の意思」が憑依するというのは、やはりストーリーとして少々苦しいと言わざるを得ない。

実務担当者に聞いてみればわかるが、外部の理事は、実質的には評議員と何ら違いのない存在なのだ。そうであれば、「いや制度上は全然違う存在だ」と強弁するよりも、かれらに執行の支援と監督を委ねればそれでよいではないか。かれらにその役割が果たせないのなら、評議員にも同じ理由で果たせないであろう。

「機関を重装備にしさえすればガバナンスが機能する」という信仰は、実務を担う人々に無用の負担をかけることになりかねない。この負担も社会的にみれば立派なコストなのだが、数字として目に見えず、それと認識されないのが何とも厄介である。

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