« 2011年11月 | メイン | 2012年01月 »

2011年12月


林雄二郎先生が残されたもの

特定非営利活動法人 日本NPOセンター 代表理事 山岡 義典

 この11月29日の早朝、林雄二郎先生がお亡くなりになった。
95歳。眠りについたままの安らかなご逝去だったとお聞きした。
いかにも、林先生のお人柄にふさわしい。改めて心からご冥福をお祈り申しあげたい。

 林先生は、1974年10月のトヨタ財団設立とともに専務理事に着任され、ここから猛烈な情熱で、日本のフィランソロピーの世界を開拓された。私はその着任2年後にお会いし、その情熱に魅せられて、この世界に入った。その後の先生のご活躍は、ここで改めて解説する必要もないだろう。

 公益法人協会に関していえば、理事としては1986年6月から一期2年と、2002年4月から二期4年、その後はお亡くなりになるまで顧問を務められた。しかし、先生の果たしたお仕事は、役職だけで測れるものではない。協会の機関誌『公益法人』への寄稿やインタビューによる時機を得た刺激的なご発言、各種の調査研究委員会におけるご指導など、枚挙に暇がない。

 先生は未来学会の中心的なリーダーでもあった。ただ、世間の未来学観には相当な不満があったらしく、「未来学というのは、何年後にどうのこうのと予測する学問じゃあないんだよ。現在の社会の中に未来の兆しを見つけだすのが未来学なんだ」と、よく言われたものだ。
 私たちには常に、「未来の兆しを見つけだせ。それに応えるのが財団の仕事だ」と、叱咤激励された。
これは、その後の私にとっての根本的な思考方法になった。

 「財団」を「NPO」に置き換えたのが今の私の仕事であるが、当然、これは「公益法人」にも置き換えられる。 
 公益法人制度改革がスタートしてこの11月末で3年を経た。この3年間を、林先生はどのような思いでご覧になっておられただろうか。

 未来の兆しは、現在の思考枠組みに囚われていては見えてこない。その点で主務官庁制のもとにあっては、その発見も、それに挑戦することも難しい。そこから解き放たれた今、新しい公益法人は、まったく新しい視点で現代社会に未来の兆しを発見する足場を得た。
 その足場を本当に生かしているのか、生かす努力をしているのか。恐らくは、そんな気持ちを抱きながら見ておられたに違いない。

 私たちは、林先生の残されたものを、しっかりと受け止めていかなければならない。

タイトル一覧