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2011年4月


アートにできること

公益財団法人 セゾン文化財団 常務理事 片山 正夫

 こんなときの芸術の無力さを思い知った――震災直後のアーティストの口からは、しばしばこんな言葉が聞かれた。アートなどやっている場合なのか、さりとて自分に何ができるのか、と。思えば16年前の阪神大震災の直後にも、アーティストたちは同じ台詞を口にしていた。

 しかしアートは、確かにガレキひとつ取り除くことはできないが、それほど無力でもない。アートがその力を発揮するのは、むしろ差し迫った危機が去ってからの、長い復興の過程においてである。阪神のときも、最初のうちこそ、被災地で演劇ワークショップをやろうとして怒声に包まれるなどの"事件"があったと聞く。だが、心のケアや地域共同体の修復にアートが果たすユニークな役割を、その後の長い時間のなかで人々は知ることになった。

 ところで今回の震災では、このような悲劇に際してもなお、冷静に我慢強く周囲との協調を保とうとする日本人の姿に、海外から賞賛の声が寄せられた。そのような報道に接すると、面映くもあり、誇らしくもある。ただ一方で、日本人には少々心配な側面もある。

 ひとつは、一方向にどっと雪崩を打つ傾向があることだ。今回も、メディアも含め世の中は震災一色となり、さまざまな立場から支援の手が挙がった。ここまでは当然のことだ。だが、被災者への支援に言及、関与しない(ようにみえる)人を過度に白眼視したり、「東北でこれだけ人が苦しんでいるときに」という判で押したような批判が幅を利かせるようになると、社会は黄信号である。そんなときアーティストには、いわゆる"炭鉱のカナリア"となって「気持ちの悪さ」を臆せずに表明してもらいたい。関東大震災の際、復興のため私心を捨て人心をひとつにという空気が、いつのまにかあのファシズムに形を変えていったことはよく指摘されるところである。

 もうひとつの日本人の性質は、熱しやすく醒めやすいということである。熱が高ければ高いほどその落差ははげしい。しかしこの悲劇は永く記憶として遺していかねばならない。関西在住の劇作家・演出家、深津篤史氏は、阪神大震災に遭い実家が全壊したが、いまなお震災に関する芝居を書き続けている。彼は、それを自分の傷痕と向き合い続ける営みだと話している。そして、被災者に今後「何で自分が生き残ったの?」という疑問が生じたとき、芸術はその心に寄り添えるかもしれないとも語っている。アートの大事な役割はここにもあるのだ。

 私が理事としてかかわっている公益社団法人企業メセナ協議会では、「東日本大震災芸術・文化による復興支援ファンド」を立ち上げ、いま広く寄附を募っている。アートを通じて被災者の精神的な回復を支援していこうという試みだ。まもなく第一回目の支援対象が発表されるが、息の長い取り組みになっていけばよいと思う。

 困難のなかで、アートの果たしうる役割にもぜひ関心を寄せていただきたい。

 (公益法人法制委員会委員長)