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2011年1月


互助と公益

公益財団法人 公益法人協会 理事長 太田 達男

 公助、互助、自助という言葉がある。とくに国民生活の保障などに使われるが、公助は税金によってそれを賄う、自助は自らの生活は自分で守る、そして互助は市民がお互いに助け合うといった意味で使われているものと思う。

 現代において、教育、就労、子育て、介護、医療などの社会的課題に投じられる税金は限界があり、すべての人を満足させることは困難であり、いわば最低限の保障(第1のセーフティーネット)をするのにとどまる。また、自助もすべての国民に普遍的なものではない。自助ができる人、できない人の格差があるのは当然である。そこで期待されるのは互助である。救いの手を差し出す側の担い手はもちろん「民」であり、その性格上利益をもたらすものではないからその中心的な担い手は非営利法人である。もちろん法人格のないボランタリー・グループや株式会社など営利法人の形態はとっていても、利益をすべて地域社会の課題に投じるいわゆる社会的企業も有力なプレイヤーであるが、もっぱら不特定多数の者の利益に寄与することを目的・使命とする公益法人、特定非営利活動法人、社会福祉法人等々の広義の公益法人が互助の担い手として最も期待されるところである。

 そこで次に問題となるのは、互助と公益の関係である。互助の対象となる範囲が広ければ公益、狭ければ公益ではなく共益という一般論の図式はあり得るのであるが、その境界線をどこに引くのかなかなか悩ましい問題をはらんでいる。とくに、地域的範囲は現実論としてあまり問題となることはないように思うが、対象の属性的範囲については議論のあるところである。

 郷土出身の成功者が出捐し、ある県の出身学生でかつ特定数校の学生にのみに奨学金を支給する、ある大学の同窓生が寄附金や会費を募りその大学だけを対象として奨学金制度を作るなどは従前からもよくある例である。「このような奨学事業は確かに民間の発意による互助には違いないが、対象が特定されており不特定多数の者を対象とするとは言い難い、すなわち公益ではなく共益だ」という議論もかつては一部にあったが、現在ではその公益性を疑う人はまずいないであろう。

 それでは、ある特定業種や特定企業グループの子弟のみを対象とした奨学金制度はどうか、特定職種の退職者のみを対象とした共済制度はどうかと想像を膨らませていくとなかなか難しい。

 授業料を払えず中途退学する学生が急増している、公的年金などの社会保障だけでは十分な生活が送れない、こういった社会環境の中でたとえ上記事例のような特定のグループであっても互助的給付は国民の生活安定に大いに貢献している、つまり国の第1のセーフティーネットでは不十分であるためこの水準を引き上げているという効果(第2のセーフティーネット)を強調するのか、特定職種では親戚縁者や向こう三軒両隣の延長線上ではないかとその共益性を強調するのか議論の分かれるところであろう。

 ただいえることは、国民生活の実態が想像以上に深刻である現状、たとえ特定グループとはいえ第1のセーフティーネットを補完して第2のセーフティーネットを張り巡らす試みも公益にかなうものではないか。個別内容を十分吟味する必要はあるが、一概に共益と断ずるのではなく、なるべく公益の範囲を広げることが今必要な方向感ではなかろうか。

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