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2006年12月


文化としてのデータベース

(財)セゾン文化財団常務理事  片山 正夫

  先ごろガイドスターの創立者、バズ・シュミット氏が、公益法人協会の招きで、同僚お二人とともに来日され、私も丸一日かけて行われたミーティングに参加させていただいた。ガイドスターは、非営利組織のデータを整理し、ウェブ上で公開する事業を行っているユニークなNPOである。発祥は米国だが、現在すでに英国ほか数カ国に仲間を増やしている。

 ガイドスターの活動については、いずれ公益法人協会からも詳しい報告があると思うのでそれに譲るとして、ここではそこで感じたことをひとつ。それは、データベースというのもまた、ひとつの文化的所産ではないかということだ。政府やNPO自身からデータの提供を受け、それをデータベース化し公開すること。この極めて単純な仕事に大きな意義を感じ、情熱を注ぐことのできる文化が、果たして日本にはあるのだろうか?

 どこかで読んだ話だが、最近は個人が趣味で作っているホームページが多いが、その内容を日本と欧米で比較すると、大きな傾向の違いがみられるという。日本人が作るものにはなぜか「日記風の独白もの」が多い(私的映画評とか身辺雑記とか・・・)のに対し、欧米では「データベースもの」が主流なのだそうだ。マニアックな音楽のデータベースから、プロ野球の記録データベースまで、その領域は広大だという。データを蓄積、整理し、公のものとしてアクセス可能な状態にする。そのことに意味を見出し、情熱を注いでいる夥しい数の個人がいるのである。彼我の文化の違いを感じざるをえない。

 多くの日本人は、整理そのものが下手である。そのため貴重なデータや資料も、どこに何があるかわからない。利用可能な形になっていないのだ。加えて、あれこれと物陰から"批評"をしたがるのも、日本人の特性のひとつである。それゆえガイドスターの、「情報公開だけを担い、評価は行わない」というキッパリとした自己規定ぶりにも、ある種の"異文化"を感じてしまうのである。

 そもそもデータベースとは、論理によって組み立てられた構築物である。欧米に一日の長があるのも、ある意味で当然なのかもしれない。もちろん、情報公開が喫緊の課題である今、「文化の違い」などと言っていられないのも、また事実なのだが。

(公益法人税制対策委員会委員長)

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