2018年7月


2019年G20サミットに公益法人はどう取り組むのか

鶴見 和雄((公財)公益法人協会 常務理事・事務局長)

多くの公益法人が6月末の決算理事会、評議員会を終え、一段落されておられるのでは。
そんな時に、少し毛色の変わった話題を提供したいと思う。

G20サミット(「金融・世界経済に関する首脳会議」)が、来年2019年6月に日本では初めて開催されることをご存じだろうか。開催場所は、大阪である。
首脳会議の他、議長国として、関係閣僚会議が、福岡市、松山市、北海道倶治安町、新潟市、つくば市、軽井沢町、岡山市、愛知県と分散され開催されるので、何れ話題になるだろう。

G20サミットとは、G7(仏、米、英、独、日、伊、加に加え、欧州連合(EU)韓国、中国、インドネシア、インド、オーストラリア、サウジアラビア、トルコ、南アフリカ、ロシア、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンの首脳が参加して、毎年開催される国際会議である。

経済面からG20諸国の占有率を見ると、実に世界総生産の85%、世界貿易の80%を占め、地政学的にも、陸地面積の約半分、世界人口の3分の2を占める。
1999年に設立、2008年の世界金融危機から「首脳会議」が開催、サミットを重ねる中で、トロイカ体制による効果的な運営、すなわち前開催国、開催国、次期開催国の政府機関、市民社会が協力し、開催される。
2018年は、11月末にアルゼンチンの首都のブエノスアイレスで開催されるが、その際の主要アジェンダは、①仕事の未来、②開発のためのインフラ、③持続可能な食料の未来である。
来年の大阪サミットでは、国際保健、科学イノベーションとSDGs、女性活躍などが、主要アジェンダとなる予定だが、まだ公式発表はない。
ただし、主要議題は基本的に経済分野だが、近年取りあげられる議題は、世界経済、貿易・投資、開発、気候・エネルギー、雇用、デジタル、テロ対策、移民・難民問題等多種多様である。

それでは、これほど世界経済と国際政治に影響力を与える集合体のサミットに、我々国内外の公益法人セクターは無関心のままで良いのであろうか。私は決してそうとは思わない。

現在公益法人は、23種類の「公益目的事業」において、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与することが求められている。そこには、「公衆衛生の向上」「児童又は青少年の健全な育成」「人種、性別その他の自由による不当な差別又は偏見の防止及び根絶」「国際相互理解の促進及び開発途上にある海外の地域に対する経済協力」など多種多彩な公益目的事業が展開されている。
そして、それぞれの公益目的事業の先には、例外なく市民社会が存在している。

これに加え、2015年に国連により採択されたSDGs、つまりSustainable Development Goals(持続的な開発目標)は、2030年までに先進国、途上国を問わず、「誰一人残さない」をスローガンに、「貧困や飢餓の根絶」「女性の社会進出の促進」「経済成長と生産的で働きがいのある雇用の確保」など、17の目標と各目標を実現するための169のターゲットが設定されている。

もうお気付きと思うが、これらは、G20サミットのアジェンダと多くが相関している。
すなわち、それぞれの公益法人にて公益活動を行う上で目標に設定している課題は、実はG20の主要議題、SDGsでの開発目標と無関係ではなく、むしろ相関的な共通課題が綴れ織りのように絡まっているのが実情なのである。

しかしながら、昨今の公益法人を含む非営利活動推進するセクターを振り返ると、世界的にも自国第一主義・排外主義・差別主義の波及・蔓延が叫ばれ、世界および日本の市民社会スペースの狭隘化が大きな社会問題となっており、公益活動を阻害する要因が多く内在している。
日本国内において公益法人を含む非営利組織の活動が、自由でより効果的に実施されることにより、社会の安定や経済の発展、環境の保護、そして市民力の推進により、SDGsが目指す「誰一人残さない」世界の実現に大いに寄与しなければならない。
そのためにも、公益法人セクターが果たすべき役割は決して少なくないと確信している。
まずは、公益法人にたずさわる一人一人が、今年11月に、また来年6月に大阪で開催される
G20サミットに関心を持ちことから始めようではないか。
そして初めて小さな一歩が、未来への大きな扉につながることとなる。

2018年6月


大学と地域社会の多様な関係を創り出すために

山岡 義典((公財)助成財団センター理事長、(特活)市民社会創造ファンド運営委員長)

この9日と10日、小雨降る立教大学のキャンパスで日本NPO学会の大会が開かれた。
同学会は1999年3月に慶応義塾大学で発足、同時に第1回の大会が開催されたので、今回は20回目にあたる。

NPO法(特定非営利活動促進法)が施行されたのは、その少し前の1998年12月であるから、学会はNPO法とほぼ同じ年齢を重ねてきたことになる。
この12月のNPO法施行20周年に向けては、NPOの関係者たちが様々な企画を各地で準備しており、この20年間をどう考えるかが大きな話題になっている。
今回の大会でも、そのような視点の研究テーマがいくつか散見されたが、今はまだ助走のレベルといってよい。研究や議論が本格化して深まるのは、来年の大会かもしれない。
 
ところで今回印象に残ったのは、この春に大学を移動したり、大学に転職した若手・中堅との多数の名刺交換だ。
その中には非営利組織の現場を経験した人も多い。
NPO法が成立して暫くは非営利組織から多くの人が大学に迎えられたが、近年はポストも埋まったのか、動きが少ないように感じていた。
それだけに、新しい動きを感じさせるものがあった。

出会った人の多くが、大学と地域社会の結びつきのコーディネート役を期待されているようにも思われた。これからの大学のありようを考えると、それは大変重要な役割である。
大学と地域社会という関係では、行政組織や企業との関係とともに小さな民間組織の地域活動や市民活動との関係がさらに重要に思う。
それは教師たちにとっての身近な調査研究フィールドとしても意味があるし、学生たちのゼミ活動やボランティア活動、あるいは少し長期のインターンシップ先としても大きな意味がある。
また、地域活動や市民活動の側からも、その活動を活発にする上で大学や学生たちへの期待が大きいのではないか。
 
このような大学と地域社会の多様な関係を創り出していくためには、現場も分かり広くネットワークを築いていける相応の人財がいる。アカデミズムの内部からだけでは限界があろう。
公益法人やNPO法人などの民間非営利組織は、すでに潜在的にはそのような人財の宝庫のように思う。
それをもっと顕在化し促進することが必要だろう。
そのことは非営利組織の側の人事も活発化させ、活動そのものを開かれたものにしていく。
そのためには、転職だけではなく非営利組織と大学との柔軟な兼職の可能性を広げることも重要だ。

2018年5月


「老いた幼児」にならないように

高橋 陽子((公社)日本フィランソロピー協会 理事長)

最近刊行された、内田樹氏編著の『人口減少社会の未来学』(文藝春秋、2018)によると、2024年には3人にひとりが高齢者となるようだが、氏曰く、人口減少が問題というより、外側は老人で中身はガキという「老いた幼児」が多くなることが問題だというのだ。
数年前、ある評論家が「団塊の世代の特徴は、過度な経済志向と個人主義という名の下の私生活主義だ」ということを言っていたことを思い出した。
筆者も団塊世代のしっぽにいるので、自己批判を込めて考えてみると、敗戦後の価値観の変化により、家より個人、義務より権利、もっと豊かに、もっと便利に、そして我々は最大のマーケット、という日常的な雰囲気の中で育った。
そして…今。
学生時代、マズローの欲求5段階説というものを学んだ。
ご承知の方も多いと思うが、人間の欲求には5段階あって、生理的欲求、安全への欲求、社会的(帰属)欲求、尊厳(承認)欲求、そして自己実現欲求となる。
まさにこの自己実現をめざして駆け抜けてきたのが団塊の世代かもしれない。
定年を迎え、さて、関心事はといえば、趣味や旅行、健康、ボランティアも含め、自己実現欲求への階段をまだまだ上っている。

1991年から民間の公益活動に関する仕事に携わっているが、当初は社会貢献やボランティアは奇特な人がするものだった。
しかし、最近は、新聞にも日常会話にもあたりまえに出ており、市民権を得てきたことを実感する。
ただ、社会課題もどんどん深刻化、複雑化しており、自己実現型活動では間に合わないのも現実である。
このところ、関心が高まっているSDGsだが、めざすべき「誰も置き去りにされない社会」を実現するためには、相当の覚悟ある取り組みが必要となる。
Win Win など言っている場合ではない。
皆が持ち出しながら取り組まなければ、と思う。
そして、今、マズローが生きていたら自己実現が最終段階とは言わないのではないか。
実は・・・・・。
マズローは、第6段階を考えていたのだそうだ。
それは自己超越(コミュニティの発展)だとか。
マズローさんはやっぱり偉かった、と自分の不勉強を棚に上げ、膝を叩いた。
亡くなる直前に、それを公表したらしい。
ロシア系ユダヤ人である彼がアメリカで生きていくための制限があったのかもしれない。
いずれにしても、とても納得している。

さて、これからの高齢者の中核をなす団塊世代。
同書の中で、「経済活動の本質は人間の成熟を支援するためのシステム」だと指摘している。
では、なぜ、戦後日本人の経済活動は、市民的成熟と結びつかなかったのか? 
そのあたりについては、是非、同書をお読みいただきたい。
高齢者1年生の団塊世代の人たちには、マズローの理論を待つまでもなく、「老いた幼児」ではなく、
地域のため、次世代のために尽くす「かっこいい老人」の姿をめざし、その仲間を増やしてほしいと切に願う。
自己実現の捉われから解放されると、人生、下り坂も案外おもしろいかもしれない。

2018年4月


新しい公益資金を呼び込む制度を

片山 正夫(公益財団法人「セゾン文化財団」常務理事)

新公益法人制度がスタートして今年で10年になる。
しかし、私の周囲(文化・芸術分野)では、この制度を利用して助成型の公益財団法人を設立したという話をほとんど聞かない。
公益法人全体を見ても、新制度発足後に新設された一般法人が4万を超えるなか、公益認定を受けたのはそのうちの2%にも満たないという。
個人的にはもう少し増えるものと思っていたが、期待外れという印象は否めない。
新しい公益法人がどれだけ増加したかは、制度改正の成否を評価する大事な指標だけに、この状況は残念というほかない。

なぜ数が増えないのか、助成財団について考えてみよう。
例えば、ここに事業で成功した人物がいる。
かれは公益的な目的のために私財を拠出し、基金を造成して、そこから助成金を出したいと考えている。
このとき、その人に成り代わって想像すると、お金の受け皿となるべき魅力的な法人格がうまく見当たらないことに気づく。

まずNPO法人は基本的に事業型の社団だから、これはNG。
公益を前提条件にしない一般財団法人では、ステータス面でやや難がある。
基金の運用益で助成金を出していくことを考えると、せめて利子・配当課税くらいは免税にしてもらいたいものだが、そう考えると選択肢は公益財団法人しかない。

ところがこれがなかなか厄介そうだ。
いろいろと細かいルールがあり、なかには何の意味があるのかと思うものも少なくない。

自分が汗水たらして働いてつくった財産なのだから、もっと自由にやりたい。
評議員会、理事会と、似たようなものをふたつもつくったうえ、2週間あいだをおいて開催するなど面倒だ。
理事会をつくるなら、人数の比率など気にせず、家族と親しい友人だけで構成したい。
立入検査で、アルコール入りの会議は控えろなどと余計な“指導”もされたくない。
時には(あくまで時には、である)支援した皆さんに囲まれてワインを振る舞い、素敵なおじいちゃんだと褒められもしたい…

私の知る限り、巨富を築いた人々は総じて縛られるのが大嫌いだ。
まして1銭もお金を出さない人に、ああだこうだと言われたくはない。
ただ、とはいえ ―ここからが重要だが― 社会に貢献したいというかれの意思そのものは、“ほぼほぼ”純粋なものなのである。
少なくとも制度を悪用し、あるいは課税をまぬかれることを目的とはしていない。

しかるに今の公益法人制度に照らせば、これは公益になじまない態度ということになる。
そういうふうにやりたいのなら、税制優遇のついた公益法人を目指すのはお門違いだとうわけだ。

おそらく公益のために私財を投じようとする人たちの大半は、私利私欲を全く捨て去った「聖人」でもなければ、制度の悪用を狙った「悪人」でもない。
たいていはどちらでもない普通の人間なのだ。
今の制度は、「悪人」を排除するために、「聖人」になることを強いているようでもある。

考えてもみよう、公共のために私財を供出してもよいと考える人たちは、いわば社会の宝物のような存在ではないか。
であるならまずもって、かれらにとって魅力的な制度をつくるべきだというのはおかしな考え方だろうか。
社会にとっても、制度が魅力的なら出てきたかもしれない公益資金を取り逃すのは、大いなる損失であるはずだ。

助成型財団についていえば、公益性を客観的に証明しつつ、こうしたマネーの受け皿となるような(つまり、細かな制約の少ない)制度を仮想することは、そう難しいことではない。
税制優遇つき法人の設立はとりあえず幅広に認め、もっぱらお金の出口を事後チェックする仕組みにすればよい。
出口とはつまり、毎年の助成総額と助成先だ。
額についてはペイアウトルールを導入すればよいだろうし、助成先についても、出捐者や理事の私益につながるようないわゆる“お手盛り”助成かどうかくらいは、その分野の専門家なら助成先リストをものの3分間も眺めれば判定できることだ。

助成型財団をやっているとしばしば経験することだが、机上で考えた制度(助成財団で言えば助成プログラム)が本当に機能するかどうかは、やってみないとわからない部分が多い。
そうであれば、違った発想に立った制度を社会実験的に試し、あるいは制度どうしを競わせて成果を比較するなどのことができればと思う。

現在公益信託制度の改正の検討が進められているが、少しずつ公益法人制度に近接しつつあるようだ。
これも、その意味からすれば少々もったいない気がする。
まったく違った発想に立った制度をデビューさせたほうが社会的な意味もあるし、公益に関心を持つ人間がどのような性向をもっているかを知る手がかりにもなるだろう。

誤解を恐れずに言えば、民間公益活動に求められる革新性や先駆性を具現化していくには、奔放で猥雑なエネルギーを取り込んでいくことも必要なのだ。
「水清ければ魚棲まず」にだけは、ならないことを祈りたい。

2018年3月


公益目的事業ということ

鈴木勝治((公財)公益法人協会 副理事長)

本年(平成30年)12月1日は、新公益法人制度が施行されてから10年にあたる。
このためこの施行10周年を記念して当協会でもシンポジウム等を開催する予定である。
シンポジウム等については、詳細が決まり次第広報されると思われるので、ここでは、10年以上昔のいわゆる公益法人改革三法、なかんずく公益認定法制定時の思い出を書いてみたい。

三法とも国会での成立は平成18年6月2日であるが、その前段階における立法担当者による原案の作成には遅速があった。
一番遅れたのが公益認定法のそれであり、この法律が新しい公益法人制度の根幹をなすだけに、今か今かと待ち構えていた記憶がある。
ようやく得たその成案をみて、個人的に驚いた点は数多くあるが、なかでも第2条の4号の「公益目的事業」という言葉には若干の違和感を覚えた。
自らの不明や浅学を恥じるばかりであるが、その当時は、公益法人は一般用語として使われている「公益事業」を行うものとばかり個人的には思っていたことから、「公益」と「事業」の間に「目的」という言葉が入る理由が分からなかったからである。

しかし、この法律案をよく読んでみると、第1条に「(前略)“民間の団体が自発的に行う”公益を目的とする事業の実施が公益の増進のために重要となっていることにかんがみ、当該事業を適正に実施し得る公益法人を認定する制度を設けるとともに、(後略)」とあり、「公益目的事業」という言葉は、「公益」と「目的」と「事業」を合成したものであるということが分った。
そしてより重要な点は、“ ”で括った部分の「民間の団体が自発的に行う」という前提が入っていることであり、このことにより世間一般で使われている「公益事業」という言葉とは根本的に違うということが納得できた次第である。

念のため「公益事業」を法律学辞典で引いてみると、「労働関係調整法上は、運輸、郵便、信書便、電気通信、水道、電気、ガス、医療、公衆衛生上の事業であって、公衆の日常生活に欠くことのできないもの及び内閣総理大臣が指定した事業をいう。」(『有斐閣法律用語辞典第4版』)とされており、この定義は「公益目的事業」とは明らかに異なっている。
立法者がここまで注意して法律用語を創出していることに感心したところである。
最近当局の検査等において、公益法人の行っている事業は「公益事業」であるので、官乃至はそれに準ずる団体が主導するその事業の規律乃至は規則等が適用乃至は準用されるべきといった指摘がままあると聞いている。
確かに公益法人の行っている「公益目的事業」の中には、法律用語としての「公益事業」と同一の性質をもつものがあり、その限りにおいて同様の規律等が適用されるべきという考えは分らなくはない。

ただ、上述の通り「公益目的事業」は、民間の団体が自発的に行っているものであり、その資金の性格や出捐者(あるいは事業の提唱者)の志が第一義的に反映されるべきことはいうまでもない。
従って上記の規律等は参考としつつも、民間が自発的かつ自由にその事業を遂行することができるのは当然のことと考えるが如何であろうか。

2018年2月


公益法人制度改革10年目を迎えての「助成財団フォーラム」を開催!!

田中 皓((公財)助成財団センター 専務理事)

昨日、2月14日、通勤電車が終着駅に着く直前の車内放送で、「---------降車される際には「チョコ」のお忘れ物のないよう身の回り品にお気を付け下さい」。
一瞬耳を疑いましたが時期を感じさせるユーモアあるアナウンスだなと一人微笑んだ朝の出来事でした。
日本には数々の記念日や季節の節目があり、メリハリのある四季の変化や時の流れを実感できる有り難い国の一つかもしれません。

時の流れを表す言葉として「十年一昔」という四字熟語がありますが、今年の12月には公益法人制度改革が実施されてから早くも10年目を迎えます。
当センターでは先週2月8日に170名の皆さまのご参加を得て「助成財団フォーラム2017」を開催しました。
メインタイトルは「公益法人制度改革後の法人運営の課題と展望 =期待される助成財団を目指して= 」とし、制度改革後の10年を振り返り、現制度を今後の財団運営にどう活かしていくべきか、またその際の課題は何かを明確にすることを目的としました。

第Ⅰ部のセミナーは「新制度における公益法人の運営のポイントと留意事項 =定期提出書
類・立入検査の現況を踏まえて=」と題して、公益認定等委員会事務局の相馬清貴局長と山崎光輝企画官に講演いただき、公益法人の監督という立場から、立ち入り検査などで問題となる点に言及しつつ、日常の法人活動において特に留意すべき点について分かりやすく説明していただきました。
第Ⅱ部のフォーラムは、基調講演「信頼性を高める公益法人運営の在り方」と題して公益法人協会の雨宮孝子理事長に講演いただきました。
現在、助成財団に席を置いておられる多くの方々は10年前の制度改革施行時、移行時を経験されていないことから、制度改革が実施された背景やその目的等を振り返り、今日的な課題まで言及された講演はこれからの財団運営に大変参考になりました。
第Ⅱ部の後半は「制度改革が組織や事業の運営にもたらした影響と課題=実践事例から=」と題して4つの助成財団から制度改革をどう受け止め対処してきたかについて、実践現場からの報告が行われました。
いずれの報告も貴重な取組みですが紙面の関係でここでは紹介できませんので、内容については出口正之氏(国立民族学博物館教授・当センターの評議員。内閣府公益認定等委員会委員、政府税制調査会特別委員等を歴任される。)が下記ブログにコメントを掲載されていますのでご興味のある方は是非ご参照下さい。
 http://blog.canpan.info/deguchi/archive/75

助成財団フォーラム全体としては、助成財団の運営や助成事業を実践する立場の皆さまにとって、より信頼される助成財団を目指すためには今何が必要なのかを肌で感じ取っていただくことができた、内容の濃い充実したフォーラムになったものと思います。
制度の課題を解決していくことも極めて重要ですが、制度改革から10年を経過し定着しつつある現制度を上手に工夫し活用し、一歩も二歩も前進した財団運営を目指していくことは更に重要になっています。
その観点から他の助成財団の動向を知ることの重要さを再認識することもできました。

参加者の皆さんにとって本フォーラムで得られたヒントが何か1つでもあるとすれば、今後の財団運営、助成事業の運営に積極的に反映させていただければと、主催者として心から念願するものです。
また、参加者の中には公益法人以外に株式会社やNPO法人の方々が増えてきたこともフォーラムの狙いでもあり、今回特筆すべき点の1つとなりました。

以下、公益認定等委員会事務局の相馬局長には第Ⅱ部の終了時まで、質疑を含めて熱心にご参加いただきましたが、その際触れられた話しについて皆さまの今後の法人運営に少しでも役立てていただければと、その一端を紹介させていただきます。

ポイント1
立入検査等に際して公益認定等委員会の事務局職員に対して日頃指導していること検査時の対応について。

① 「立入検査というのは単なるミスを発見する場ではない、その背後にあるマネジメント、ガバナンスの問題を明らかにして、今後の法人運営に役立つ助言をする局面と捉えること」
② 「きちんと説明する、相手方に伝わる形で指摘すること。問題解決につなげるために、一体何を言っているのか、どういうことが問題にされているのかということが理解できるまでやり取りをすること」

検査を受ける皆さまがたも是非担当する職員に対して虚心坦懐、率直にお話していただけると良いと思います。人間の心理として、隠そう隠そうと思うとこちらに伝わりますから、そこは正直にお伝えいただいたほうが、いろんな意味で生産的なやり取りに発展し得ると思います。
立入検査を受ける皆さまにとっては、非常に緊張する時間ではなかろうかと思いますが、正直申しまして「ご安心ください」と言える材料は、私にはありません。しかしながら立入検査などの監督の局面で見つかった問題で「勧告」「命令」「認定取消し」などの処分に至った事案については、法人全体の数から見るとごくわずかであります。
私どもはいちいち細かいことを取り立てて問題にする気はありません。やはり一番問題なのは、ガバナンスがしっかりと効いているのか、組織として果たすべき役割がしっかりと果たされているのか、というところを中心に見たいと思っておりますので、そこは是非ご理解願いたいと思います。
当方からお願いしておきたいのは何か当方から指摘をさせていただいたとしても、それは法人運営を改善するきっかけとして、是非うまく活用いただきたいということであります。


ポイント2 
相馬局長が最近強く感じている2つのことについて。

1つ目は、「法人運営に関する透明性の確保」

公益法人とはご存じのとおり、民による公益を実現するまさに中心的存在です。
そういう高い公共性を持つ存在である以上、広く市民に対してその活動が常に明らかにされなければならないと思っています。法令では公表する事項が定められていますけれども、それに止まらず法人の活動実態の積極的公開が求められる時代になっていることを改めて強調しておきたいと思います。また、透明性の確保は公益法人一般が広く世間の方々から信頼を受けるための基本的条件であることも言うまでもありません。また、法人活動の実態を具体的に詳細に説明していくということは、寄付文化の醸成という我々に課せられた大きな命題を前進させていくことつながることになると思います。
法人の活動を全く知らずにその法人に寄付を行うという人はまずいません。是非自らの活動に自信を持って、積極的に公開、対外的な発信、さらには法人と外部とのコミュニケーションを緊密化、活発化にご努力をお願いできればと思っております。

2つ目は、「公益法人の果たすべき説明責任」

法人が我々公益認定等委員会や外部の様々な方々とやり取りをする中で、自分たちの活動内容、予算の執行実態等について説明を求められることがたびたびあると思います。
法人が高い公共性を持つ存在である以上、そのような求めに応じることは当然の責務であると私どもは考えております。
一方で、ある支出が適当かどうかという点は、もちろん個別具体的な検討が必要であります。その上で説明責任を果たすよう求められた場合には、どういう場面、どういう場所においても堂々と正面から説明が可能という点に最終的は帰着すると私は考えております。  
残念ながらごくわずかな数の法人でありますけれども、法人の経費使用、予算執行について社会通念と若干乖離している事例が散見されるのは事実でございます。私の一個人の考えになりますけれども、だれが認めたとか、理事会で決めたとかいう形式的な要件よりも、「それは説明できるか」というような問いかけのほうが有効な話もあるのではないかと思います。
そういう意味では、繰り返しになりますけれども説明責任を果たすべき公的な存在であるということについて、改めて思いを致していただければと思う次第でございます。

また、助成財団の皆さまと公益認定等委員会は、一緒になって寄付社会を醸成していく中で「民が支える社会」に向って、「民による公益」を担うより優れた公益法人制度を目指していくという観点で「パートナー」と位置づけられると考えています。
公益認定等委員会の活動には以上のような基本的な考え方が背景にあることをご理解いただければ幸いです。

2018年1月


公益法人の「働き方」をアピールする

鶴見 和雄((公財)公益法人協会 常務理事・事務局長)

2018年の新年を迎え、改めて「公益法人での働き方」に付いて、想いを巡らせてみた。
ここでいう、「公益法人」は、「非営利セクター」を構成する重要なアクターであり、その働き方は、「一般法人」や「NPO法人」等の他非営利セクターも包含するものと見て欲しい。

自分自身も、17年前に、総合商社より、その頃の「財団法人」、現在の「公益財団法人」に転身し、現在に至っていることから、振り返えると、17年前と今とでは、随分「公益法人」での「働き方」も変わったものだと、つくづく感じる。

昨年9月に発表された、「平成28年 内閣府概況調査」では、9,458公益法人に、常勤の理事数は8,977名であり、非常勤は122,726名である。
また、監事に付いても、常勤が85名、非常勤が19,666名となっている。
同様に職員数をみると、9,548法人に勤務する職員数は、259,358名(常勤201,891名、非常勤57,467名)となっており、その半数の50.3%、4,775法人が、2~9名規模の職員数であり、10名以上の法人数は、32.0%の3,037法人となっている。

これらの概況調査に、ジェンダー別職員数の分析はなされていないが、理事・監事においては、多くの法人において、男性が大勢を占め、逆に職員においては、6割方が、女性によって占められていると容易に推測ができる。
一般企業と比較しても、理事・監事に当たる役員は、同様な傾向にあると思うが、職員においては、公益法人での女性の比率がかなり高いのではなかろうか。
その要因の一つが、生活を支える「給与」のレベルに起因するからではないだろうか。

昨今、盛んに「働き方改革」が話題となっている。
これを公益法人に当てはめると、どうであろう。
一般企業と比し、公益法人に勤務する職員は、多様化した雇用関係で従事しているケースが多い。
事実、筆者が16年間在籍した、国際開発を専門とする「公益財団法人」には、70名弱の常勤・非常勤職員が在籍し、ボランティアとしてさらに700名の方々に従事していただいた。
その職員やボランティアの85%以上が女性であり、多くの女性が子育てをしながら、また男性は、育児休暇を取得しながら、公益法人の理念達成のため、経営側は、働く人たちの視点に立ち、自らのライフスタイルに合わせた働き方を実践できる環境を整備していた。
ある意味、「働き方改革」を先取りした多様化を推進している公益法人も少なからず多いと思われる。

「働き方改革」と裏腹な関係にあるのが、「生産性」と言われているが、そうとは思わない。
生産性を上げるには、「働き方」も重要な要素といえる。
適正な労働環境づくりと、ワーク・ライフ・バランス(仕事「ワーク」と生活「ライフ」の調和「バランス」)を取ることで、充分に生産性は向上する。
2018年は2020年のオリンピック・イヤーに向け、公益法人の「働き方」をアピールする良い機会としたい。

2017年12月


「社会的課題の解決」と「社会的価値の創造」

山岡 義典((公財)助成財団センター理事長、(特活)市民社会創造ファンド運営委員長)

公益法人や特活法人などの民間非営利組織の役割が、「社会的課題の解決」にあることは言うまでもない。しかし同時に「社会的価値の創造」も大きな役割だ。

後者は特に何か明確な社会的課題があるから取り組むわけではない。
恐らく直ぐに何かの役に立つわけでもない。

しかし、「こんなものをつくりたい」、「こうなったらいいな」、「こんなこともできそうだ」、「こんな社会になるといい」、「このままで本当にいいんだろうか」、「これだけは守らなければ」、「これだけは今やっておかなければ」、「これだけは絶対にやってはいけない」、そんな様々な思いから発する、よき社会を創り出そうとするさまざまな施策や試み、すなわち「社会的価値の創造」につながる営為は重要だ。

その中から、やがて何か物凄いものが生まれるかもしれないし、何も生まれないかもしれない。
しかし大小さまざまな思いに支えられた活動が、いくつも生まれて影響しあい蠢きあう社会は、何と素晴らしいことか。それのない社会はワクワクしない。退屈だ。

このような価値創造の活動は、誰かが勝手にやればいいともいえるし、誰かがパトロンやスポンサーになればいいともいえる。
しかし、やはり社会全体がそのような活動を応援する雰囲気が欲しい。本当は誰でも、そんな雰囲気の中で人生を過ごしたいと思っているはずだ。

この「社会的価値の創造」という役割を、「公益性」の重要な柱として再認識すべきではないか。
民間非営利活動の議論が、余りに「社会的課題の解決」という役割にシフトしていることを、私は寂しく思う。

少し極端に言い過ぎたかもしれないが、実は民間非営利活動の殆どは、その比率はいろいろ
あれ、これら双方の役割を併せもっている。本当に優れた永続性のある「社会的課題の解決」
には、その背景に「社会的価値の創造」が潜んでいる。それを孕んでいる。一方、「社会的
価値の創造」を目指した試行錯誤の積み重ねは、恐らくいざというときの「社会的課題の解決」
に大きく役立つに違いない。

このような関係性も含めて、公益性の論理を「社会的課題の解決」という側面からだけでは
なく、「社会的価値の創造」という側面からもっともっと議論しないといけない。
そうしなければ、民間非営利の世界は、やがて痩せ細った魅力のないものになってしまう。

最近つくづくと感じる思いを記したが、舌足らずの生半可なコラムになったかもしれない。
ご容赦いただき、もっと明確な論議に、皆さんで挑戦していただければありがたい。

2017年11月


寄付者と寄付を受領する者の心構え

雨宮孝子((公財)公益法人協会 理事長)

10月の終わり、暖かな日差しの中、公益財団法人いわさきちひろ記念事業団が運営するちひろ美術館・東京を訪ねた。閑静な住宅地の中にその美術館はあった。
なぜ、この美術館を訪れたかというと、いわさきちひろさんの絵(特に、長靴をはいた女の子の絵)が好きなことはもちろん、「子どもと平和」をミッションとする絵本美術館の平成28年度の寄付金額が、急に1億円以上となっており、どのような方法で寄付金を増加させたのか、特に個人の寄付金を集めるとき、どのような形で、信頼を得ておられるのかを伺いたくて、事務局長の竹迫さんにインタビューのお約束をとらせていただいた。

お話を伺うと、実際はちひろ美術館を何回かご訪問されたご婦人が遺産を寄付されたとのこと。
相続人がおいでにならない方で、遺言書の内容は身の回りのお世話をしてくださった方への遺贈とちひろ美術館への遺贈だったとのこと。

そこで、遺贈された財産の中に不動産や株式、絵画などはありませんでしたかと質問しました。
というのも不動産を贈与された場合、直接利用できるときはよいが、それでも固定資産税分は法人側が支払わなければならない。転売が簡単な場合でも、その手続きや税の問題が生じる。
もちろん、転売に対する税制改正も重要な問題である。
株式が入っている場合、無議決権株式かどうかを確認する必要がある。同一の株式は、原則、法人は50%を超えて保有することはできない(公益認定法5条15号)。
絵画については、鑑定評価をしなければならないし、評価にもお金がかかる。ある法人では、絵画が事務所に飾ってあった。せっかくの遺贈もその志を生かせないことも多い。
遺贈寄付に反対しているわけではない。

この質問に対して、竹迫さんは、このご婦人は、すべて現金での遺贈で、法人に迷惑をかけないようにとのご配慮があったようですとのお答え。なんと素晴らしい女性でしょう。
また、いわさきちひろさんのご主人である松本善明氏は、以前から寄付に対して、「多額の現金をいただいたのではなく、お心を寄せていただいたのです」とおっしゃられていたとのこと。

竹迫さんは、心を寄せていただいた多くの支援者に感謝しつつ、ちひろ美術館で働くことの大切さとありがたさを日々実感していますともお話しされ、インタビューをした私も、これぞ公益法人の原点と心が温かくなりました。

寄付を集めることは重要ですが、ここまで配慮の行き届いた寄付者がいらっしゃるでしょうか。
寄付者側、受領する側双方の心構えの問題です。

私はこのお話を伺い、以前公益法人協会で設立のお手伝いをした(公財)雨宮児童福祉財団(設立は平成4年)を思い出しました。
私とは血縁関係にない雨宮育子さんが、相続された不動産を売却し、約27億7,000万円もの税金を払い(平成3年高額納税者2位)、その売却益を児童養護施設出身者への教育支援の事業に寄付されたのです。本当に潔い女性です。

2017年10月


公益ということ

鈴木勝治((公財)公益法人協会 副理事長)

10年程前になるであろうか、当協会のある研究会で改めて驚いたことがある。
それは「公益」というものの本源的乃至は本質的な定義がどこにも書かれていないことであり、それにも拘らず、全ての人がある事柄や事業について、公益性を云々する現象についてである。

法律的には、今更いうまでもなく、改正前の民法では、公益法人を「祭祀・宗教・慈善・学術・技芸その他の公益を目的とする法人」と規定しているが、ここでは「公益」の定義はなされておらず、学説上も「社会全般の利益、すなわち不特定多数の者の利益」(我妻 榮著『新訂 民法総則』(岩波書店、1965)136頁)といった、実質的な内容を捉え難い、抽象的な定義にとどまっていた。

現在の公益認定法でも同様であり、ただ同法第2条4号において、公益目的事業の定義として、「学術、技芸、慈善その他の公益に関する別表各号に掲げる種類の事業であって、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するものをいう。」として、事業の要素を入れているものの、基本的には上述の学説を条文化したものとなっている。

そこでくだんの研究会の話に戻すと、その際に「公益」の議論の基礎となるような「公益」についての本質的・本源的な定義がないかを探したことがある。

まず日本最大の国語辞典である『日本国語辞典』(小学館)で調べたところ、二番目の定義として「社会一般の利益。多くの人々にもたらされる利益。公共の利益」と書かれており、日本で最初にこの言葉が使われたのが、サミュエル・スマイルズ著、中村正直訳の『西国立志編』(明治4年)であることは分かったが、定義そのものは、上述の法律の場合と同様であり、参考とならなかった。

次に当時出版されて間もなかった岩波書店の『哲学・思想辞典』を調べたところ、なんと「公共性」という言葉はあったものの、「公益」という言葉は見出しとしては影も形もなかった。
成程、「公益」という言葉は、思想や哲学等の厳密的な学問の対象ではなく、世俗的な一般的な用語であることと思い知った次第である。

念のためと思って、小学館の『日本大百科全書』をみてみたところ、政治学者の飯坂良明氏の執筆で次のように書かれていた。
「(前略)公益の内容を確認することはむずかしい。というのは、公益が引き合いに出されるのは、これに反すると思われるような事態に対して抗議し、それを規制するために用いられることが多いので、批判しようとする事柄如何によっては、公益の内容の強調点はおのずから異なるであろうし、また公益を判定又は主張する者が誰かによっても、見方が異なってくるからである。(後略)」とされている。

この解説に出会ってやっと我が意を得たりという思いがした。
すなわち、「公益」というのはそもそも政治的・論争的(polemic)な概念であるということが、政治学者が書いたということを割り引く必要はあるが分かった次第である。

以上のことから、我々公益法人関係者の教訓としては、例えば英国の1601年のチャリタブルユース法(Charitable Uses Act 1601の4つのチャリティ目的(1)貧困の救済、(2)教育の振興、(3)宗教の振興、(4)その他コミュニティ利益増進目的)のように、アプリオリに公益目的と認められるも(※)以外の公益目的事業については、次のことに留意する必要がある。
① その事業を真面目に遂行乃至は推進することは勿論のこととして、② 自らその事業の公益性について、それを当然とすることなく、不断に世間一般に訴え続けることが大切であるということである。

最近、公益認定申請に対し、個人的には必ずしも妥当とは思われない不認定という判断が当局から
されることがあるが、① 申請側が公益性を当局や世間に対し十分に証明乃至はPRしていたかどうか、② 逆に認定側における公益性の判断において、世間一般の公益についての常識や考え方が十分に考慮されていたかどうかが問われると思う。


(※)イギリスにおいても、(2)や(4)の目的についても、具体的な立証が必要とされる場合があることについては、(公財)公益法人協会編『英国チャリティ―その変容と日本への示唆』(弘文堂、2015)の55~56頁(石村耕治教授執筆)をご参照。