2018年12月


非営利組織の自律性 ―公益法人ガバナンスコードの提唱―

太田 達男((公財)公益法人協会 会長)

米国・ジョンズ・ホプキンス大学のレスター・サラモン教授をリーダーとする「非営利セクタ―国際比較研究」プロジェクトにおいて、非営利組織の定義として掲げる5要件はあまりにも有名で、今更ここに述べる必要はないが、ここで検討してみたいのは、その第4要件「self-governing」である。
いろいろな訳し方があると思うが、直訳すれば「自己統治」ということになるが、私はここでは「自律性」として考える。
すなわち、公正で、社会に開かれ、規律正しい組織運営をする能力を備えていることを、自律的に確保していることが非営利組織たる要件の一つである。

英米の非営利組織の全国団体(いわゆる中間支援団体)は、この点において格段の注意を払い、努力を傾注しているように見受けられる。

英国では、特に2012年以降続発したチャリティの不祥事件が国会で問題となり、政府による規制強化が叫ばれる中で、危機感を覚えたNCVO(National Council for Voluntary Organisations)他6団体は、民間による自浄作用が必要との立場から、すでに制定されていた、2005年の“Code for the Voluntary and Community Sector”(2010年一部改訂)を、全面改訂した"Charity Governance Code"(Code)を策定し、公表した。
規制当局であるチャリティコミッション(C.C)もこれを歓迎し、C.CのガイダンスC.C10“The Hallmarks of an Effective Charity”を廃止し、チャリティは以後Codeに準拠して経営するよう指導している*1。

米国でも、2004年に財団の不透明な運営が議会で取り上げられ、規制強化の動きが出てきたが、危機感を抱いた中間支援団体Independent Sectorは、法令による押し付けではなく自律的に対応すべき問題として、議会への各種提言とともに自主規制綱領(Principles for Good Governance and Ethical Practice)を作成し、非営利公益団体がこれをモデルとして、自律的にガバナンスと透明性を高めるよう働きかけた*2。

つまり、英米とも中間支援団体は、政府の規制によるものではなく自らが身を律することで、しっかりした自己管理能力を高めようという姿勢で臨んできたということだ。
 
翻って日本ではどうか。
昨今スポーツ団体を中心として耳目を騒がす不祥事件が続発しているが、スポーツ団体に限らず、運営に疑問ありとして法令上の報告要請を受けた件数は、平成22年度以降29年度までで累計643件に上る(公益認定等委員会 各年度「公益法人の概況及び公益認定等委員会の活動」による)。
これらの内容は公表されていないので不明であり、中にはむしろ行政庁側の勇み足的なものもあり得ようが、かなりの公益法人が運営上問題視されたことは事実であろう。
 
このような状況の中で、新聞報道によれば自民党行政改革推進本部は、来年夏に決める経済財政運営の基本方針に反映させることを目指し、テーマごとに5つのチームを発足させるという。
その中に「公益法人のガバナンス改革」チームがあると報じられている。
また、これと連動しているものではないと思うが、公益認定等委員会でも新制度施行10年を振り返り、「民による公益の増進」の状況や委員会、行政庁の取組・成果等について概観し、問題点が把握された場合は、当該課題について検討するとしている。
 
これらの与党・政府の動きがある中で、公益法人協会は、政府による規制強化ではなく、公益法人の自浄作用として、不祥事が起こらない自律的なガバナンス体制の構築を各公益法人に促す努力をするべきであり、内外に広くアッピールすべきと考える。
その一つとして、日本版チャリティガバナンスコードを策定し、少なくとも会員にはその採用を促すことを考えてみたらどうだろうか。

もちろん、その検討にあたっては委員会を設け、広く意見募集も行うなど民主的に進めていくことも必要であろう。


*1 公益法人協会HP内調査報告書「英国チャリティのガバナンスコードについて」

*2  『米国調査ミッション報告書』(2009年9月 公益法人協会)

2018年11月


日中韓、市民レベルの社会貢献活動交流

高宮 洋一(城西国際大学教授)

「やあ久しぶり」「また会えたね。元気だった?」、一年ぶりの懐旧の挨拶が飛び交う。
外国だとハグも気恥ずかしくなく、旧知の異国の友人と抱き合う姿もチラホラ。

2018年10月25~27日に、中国の無錫で開催された「東アジア市民社会フォーラム」は、日中韓三カ国回り持ちで年1回開催、すでに9回を重ねる。
日本では公益法人協会が事務局を務め、3ヵ国の市民社会貢献活動家が継続的に交流・情報交換を進める、オープン参加の民間草の根ベースの会合だ。
各国のNPO/NGO、公益法人、中間支援組織、政府や大学、社会貢献ボランティア等の、志ある有志が、今年は中国の名門 江南大学のキャンパスに集い密度の濃い交流を進めた。

社会が急速にグローバル化する中、民間の社会貢献活動も、国内での取組みのみで良しとせず、国際ベースでの取り組みが一層求められてきている。
アジア域における先進国である日中韓3ヵ国の市民社会が抱える課題は共通したもの多々あり、国境を超えて情報共有・教えあい学びあうべき事項は数多く、そうした取組みにより期待できる成果も大きい。
しかしながら、地理的、人種的に最も近しい隣人である東アジア3ヵ国は、心情・文化的シンパシーのある一方、永年の経緯に由来する歴史的な、また政治的な面からの隔たりもあり、正直、国政レベルで恩讐を超えて急速に協働化することは難しい状況にある。

こうしたジレンマ打開への“解”の一つは、国ベースでの制約に拘束される国政の限界を超えて、市民社会の課題に自由に取り組むことができる市民レベルでの社会貢献活動交流の展開である。

この会議は、こうした考えを3ヵ国の市民社会活動で共有し、各々の取組みを高度化することを目的として、これまで、「市民社会交流の意義・役割」「市民社会ボランティアリズム力量形成」「企業ボランティアの活動」「企業の社会的責任」「市民社会とソーシャルイノベーション」「災害被災地における地域再生」「地方再生・過疎化対策」等について参加者で語り合い、その成果を各々の国の市民社会にフィードバックしてきた。

民間市民社会貢献活動は「公の限界や間隙、また進むべき先端を意欲的に担い、公の社会政策の展開を先導する」役割も持っている。
「着眼大局 着手小局」、この事業を持って、国ベースの3ヵ国市民社会の関係改善を語るには極めて小さな事業活動ではあるものの気宇は壮大、気概は大きい。

本事業は継続9年目に至り、3ヵ国に亘るこの小さな炎は今年も元気よく燃え続けている。
次回、2019年秋は創設10周年、3ヵ国の市民社会活動家は、開催予定の日本での再会を誓い合った。
本フォーラムは、志ある団体・有志への自由参加オープンフォーラムである。
公益法人協会が事務局を担うこの小さな炎を、3ヵ国の市民社会の強力な連携の導火線と為すためにも次回の日本でのフォーラム開催の成功と、こうした取組みに共感を持つ小欄読者諸氏・諸組織の積極的な参画を大いに期待したい。

2018年10月


収支相償という言葉

鈴木勝治((公財)公益法人協会 副理事長)

1.周知の通り、公益認定法第14条は、「公益法人は、その公益目的事業を行うに当たり、当該公益目的事業の実施に要する適正な費用を償う額を超える収入を得てはならない。」と規定している。
第14条の法律の見出しは「公益目的事業の収入」とされているが、それにも拘らずいつの間にか行政庁、はこれを「収支相償」の原則とよんで、これが現在完全に流布している。

2.立法段階においてこの条文案を示されたときは、私は正直全くの仮案かと思った。何故なら改正前の民法法人においては、一定の利益が許容されていたにも拘らず、この条文ではそれは一切許されないようにみえるからである。
したがって当時、公益法人界はあげて、このような条文の不当を訴え、せめて「原則として」といった文言を入れ、例外の規定を政令等で入れることを要望したが、結局原文のまま法律となった。

3.しかも追い打ちをかけるかのように、立法担当者による『一問一答 公益法人関連三法』(2006年、商事法務)の解説では、「(実費弁償)を認定基準として設けることとしたものである。」としている。
さらには、公益認定等ガイドラインにおいては、「5.認定法第5条6号、第14条関係(公益目的事業の収入)」において、法律上の根拠がないにも拘らず、その(3)で判定方法について第一段階、第二段階というものを勝手に設けて判断するとしている。

4.「収支相償」として説明されている公益認定法第14条については、①法人が生存していくためには、それ相応の利益が事業収入に伴ってなければ、生存力を維持できないことはいうまでもないことであり、②公益認定法第1条では、この法律の目的を「公益の増進及び活力ある社会の実現に資することを目的とする。」としており、この目的を達成するためには、法人サイドにおいて、その原資としてその事業に係る収益や寄附金等がなければならない。

5.「収支相償」という言葉だけについても、大いなる疑問がある。当時この古色蒼然たる言葉に意味がよく分からず、使用例も私の調べた限りにおいては1~2件しか見つからなかった。
一つは、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の旧定款第19条第1項であり、「(資金調達コストである―筆者注)政府の貸付金の利子、付属諸費及び資産の運用損失を償うに足るように、銀行の貸付利率又は債務の保証料率を勘案して定めるものとする」と規定されている(その他の例は地方公営企業等金融機構の例があるくらいなので省略する)。
そして開銀の方々はこれを収支相償と称している(例えば、2005年1月、大瀧雅之「クラブ財としての公的金融と民営化」問題、②『金融辞典』(1994年、東洋経済新報社)のP375~P376、加藤孝造「日本開発銀行」の項。因みに加藤氏の解説では、日本開発銀行について、「貸付金利は収支相償の原則に基づき、原資コスト及び事業運営上の諸コストを償うに足りるように、民間の金利を基準に定められている。」としている)。

6.以上みたように、「収支相償」という言葉は、事業収益に一定額を認めようとする考え方であり、上記3の実費弁償のように、収入がそれに関連する事業を超えない(ないしは同等)という考え方とはベクトルの方向が異なるのである。

従って個人的には、「収支相償」という言葉を使うとするならば、公益認定法第14条を改め(廃止を含む)、本来の姿とすべき、と考える(なお、以上の行論においては税制の扱いが平成20年度の改正で変ったことを公益認定法第14条の規定の根拠とする考え方があるが、これについて今回は採りあげない)。

2018年9月


SDGs達成に向けて:公益法人への期待

黒田かをり((一財)一般財団法人CSOネットワーク理事・事務局長)

持続可能性(サステナビリティ)は、21世紀の国際社会にとっての最重要共通課題である。
気候変動や生物多様性の喪失、貧困、格差、食料問題、ジェンダー不平等、紛争、テロに関連する人道危機など、あらゆる地球規模課題が相互に連関しながら深刻化しており、このままでは社会の持続可能性が脅かされてしまう。
このように、SDGs策定の背景にあるのは「続かない社会」への強い危機感であった。
 
SDGsの特徴は、持続可能性の三要素である環境・社会・経済に統合的に対応すること、すべての国を対象とする普遍的かつ野心的な目標であること、またあらゆるステークホルダー(政府、国連機関、企業、市民社会など)のパートナーシップを必要とすること、などである。
そしてSDGsは、採択時のすべての国連加盟国の首脳による「誰一人取り残さない」という強い決意とともに、すべての人々の人権の実現、ジェンダー平等とすべての女性と女の子のエンパワーメントを達成することを目指している。
 
日本においても、SDGsは少しずつ広がりを見せている。
政府は総理大臣を本部長にSDGs推進本部を立ち上げ、内閣府地方創生推進事務局はSDGs未来都市に29の自治体を選定した。
選定されていない自治体もSDGsに取り組み始める動きが活発になっている。
セクターの中で一番関心が高いのは大企業であろう。
最近の調査では、上場企業の8割以上がSDGsを知っており、6割を超える企業がすでに取組みを開始または検討していると回答している*。
また、協同組合は国際的にも国内的にも積極的にSDGsに取り組んでいる。
学校もあらゆるレベルで持続可能性や環境問題に取り組むところが増えている。
特に若い世代は、世界的にもSDGsとは関係なしに、社会や環境への関心が高いと言われている。
 
では、非営利セクターはどうであろうか。NPOの一部は、SDGsの策定にも積極的に関与したが、関心はまだそれほど高くないという印象を受ける。
SDGsが誕生するずっと前から、社会性の高い活動をミッションとして掲げ、持続可能な社会づくりに貢献することに「本業」で取り組んできたからであろう。
一方で、持続可能性に多くのセクターが関心を持ち始めるなかで、その存在感が十分に示せていないのも事実である。
殊更にSDGsにこだわる必要はないのかもしれないが、SDGsが格納されている「我々の世界を変革する? 持続可能な開発に関する2030アジェンダ」には、いくつもの重要なことが書かれているので、まずは公益法人の皆様にも読んでいただきたい。
 
実際、公益法人の公益目的事業や特定非営利活動法人の活動に列挙されている分野は、直接的または間接的にSDGsに関連しているが、特定の事業だけに特化するあまり「サイロ化」が進んでしまうことも時に指摘される。
そうならないためにも、既存の事業や取組みを「課題間のつながり」や「経済・社会・環境への統合的な対応」「包摂性」「多様性」、横断的な「ジェンダー平等」などSDGsの理念や考え方に沿って見直しや整理をすることは意味があると思うし、課題解決のために他セクターと積極的に連携することも重要であろう。
 
海外では複数の助成財団や国連開発計画などが、SDGsフィランソロピー・プラットフォームを立ち上げ、支援が届きにくい国やテーマを中心に共同支援を始めた。
そういう取組みも参考になるのではないか。
 
持続可能な未来の実現に向けては、牽引役ととともに、多様なセクター間のパートナーシップ構築におけるリード役を是非担っていただきたいと思う。
公益法人をはじめ、非営利セクターの役割は大きいのである。

 *「第3回機関投資家のスチュワードシップ活動に関する上場企業向けアンケート集計結果」
   (年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)2018.4)

2018年8月


市民活動との本格的出会い

秋山孝二((公財)秋山記念生命科学振興財団 理事長)

私は32年前に、この財団の設立に携わり、以来、理事を経て10年後、1998年に
初代理事長の秋山喜代(伯母)の逝去後を引き継いで22年間、理事長を務めています。

企業経営者としての人生を送っていた私にとって、市民活動との本格的出会いは、10年前の「G8北海道洞爺湖サミット」開催時に、「G8サミット市民フォーラム北海道」の共同代表の一人として、「世界は、きっと、変えられる」をメインテーマに掲げた時でした。  

 *詳細は、http://kamuimintara.net/detail.php?rskey=143200809t01

当時、私自身は二つの意味合いで、フォーラム代表の使命を感じていました。
1) 世代としての使命:20世紀半ばに生まれた者として、これからの若い世代が夢を持ち続けられる社会・自然環境への努力を惜しまないこと、
2) 北海道に育った者としての使命:行政・企業とは異なった、本来の「市民セクター」として、北海道においてプラットホームの構築、そして世界との直接的なネットワークづくりの実践です。
市民活動と企業活動は相対立するのではなく、担い手こそ違うとは言え、その課題解決策は、かなり共通していると信じていました。
永く企業セクターに身を置いた私は、少しでもこの「市民活動とのコラボ」に、メディアを含めた地元民間企業が興味を持つべく、出来る限りの努力をするつもりでこの任を引き受けました。

活動の詳細は、上記のサイトをお読みいただきたいのですが、今も私が忘れることができないのは、クロージング・セッション、参加した74団体の中から14団体/個人によって、3日間を締め括る実に多様なレビュースピーチが行われました。
G8を問う連絡会(小倉利丸)、市民外交センター(上村英明)、先住民族サミット(木幡カムイサニヒ)、ゆうばり再生市民会議(熊谷桂子)、Japan Volunteer Center (熊岡路矢)、日本自然保護協会(道家哲平)、生物多様性フォーラム(山下洋)、SANSAD/インド(Anil Singh)、日生協保健部会(北嶋信雅)、Africa Jubilee South(Noel)、毎日新聞(横田愛)、Youth G8 Project(林雄太)、ezorock(草野竹史)、ACE(岩附由香)のみなさん。

そして総括挨拶として、NGOフォーラム代表の星野昌子さんが、「気になるのは、行政などを動かすことに成功してきた分、逆に日本の公的セクターも市民社会とつきあい方に慣れてきて、気を緩めると取り込まれてしまうのではないかということ。
いたずらに敵対する必要はないが、私たちは立場の違いを常に意識して、緊張感と距離感を持ち続ける一方、なおかつ喧嘩別れにならずに粘り強い話し合いを今後も続けていきたいと思います。
大組織主体ではなく、多様なNGOの声に耳を傾け続ける姿勢を大切にしたい」と、含蓄のあるお言葉で締めくくられました。

あれから10年、国際社会の枠組みは、「京都議定書(1998年)」、「MDGs(2000年)」から、2015年の「SDGs」、「パリ協定締結」へと一層進展してきています。

これらを共通語として、「民が担う公共」の立ち位置にこだわり、「Society5.0」を先取りする取組みを果敢に地域で果たして参りたいと思う昨今です。

 *society5.0とは、http://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html

2018年7月


2019年G20サミットに公益法人はどう取り組むのか

鶴見 和雄((公財)公益法人協会 常務理事・事務局長)

多くの公益法人が6月末の決算理事会、評議員会を終え、一段落されておられるのでは。
そんな時に、少し毛色の変わった話題を提供したいと思う。

G20サミット(「金融・世界経済に関する首脳会議」)が、来年2019年6月に日本では初めて開催されることをご存じだろうか。開催場所は、大阪である。
首脳会議の他、議長国として、関係閣僚会議が、福岡市、松山市、北海道倶治安町、新潟市、つくば市、軽井沢町、岡山市、愛知県と分散され開催されるので、何れ話題になるだろう。

G20サミットとは、G7(仏、米、英、独、日、伊、加に加え、欧州連合(EU)韓国、中国、インドネシア、インド、オーストラリア、サウジアラビア、トルコ、南アフリカ、ロシア、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンの首脳が参加して、毎年開催される国際会議である。

経済面からG20諸国の占有率を見ると、実に世界総生産の85%、世界貿易の80%を占め、地政学的にも、陸地面積の約半分、世界人口の3分の2を占める。
1999年に設立、2008年の世界金融危機から「首脳会議」が開催、サミットを重ねる中で、トロイカ体制による効果的な運営、すなわち前開催国、開催国、次期開催国の政府機関、市民社会が協力し、開催される。
2018年は、11月末にアルゼンチンの首都のブエノスアイレスで開催されるが、その際の主要アジェンダは、①仕事の未来、②開発のためのインフラ、③持続可能な食料の未来である。
来年の大阪サミットでは、国際保健、科学イノベーションとSDGs、女性活躍などが、主要アジェンダとなる予定だが、まだ公式発表はない。
ただし、主要議題は基本的に経済分野だが、近年取りあげられる議題は、世界経済、貿易・投資、開発、気候・エネルギー、雇用、デジタル、テロ対策、移民・難民問題等多種多様である。

それでは、これほど世界経済と国際政治に影響力を与える集合体のサミットに、我々国内外の公益法人セクターは無関心のままで良いのであろうか。私は決してそうとは思わない。

現在公益法人は、23種類の「公益目的事業」において、不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与することが求められている。そこには、「公衆衛生の向上」「児童又は青少年の健全な育成」「人種、性別その他の自由による不当な差別又は偏見の防止及び根絶」「国際相互理解の促進及び開発途上にある海外の地域に対する経済協力」など多種多彩な公益目的事業が展開されている。
そして、それぞれの公益目的事業の先には、例外なく市民社会が存在している。

これに加え、2015年に国連により採択されたSDGs、つまりSustainable Development Goals(持続的な開発目標)は、2030年までに先進国、途上国を問わず、「誰一人残さない」をスローガンに、「貧困や飢餓の根絶」「女性の社会進出の促進」「経済成長と生産的で働きがいのある雇用の確保」など、17の目標と各目標を実現するための169のターゲットが設定されている。

もうお気付きと思うが、これらは、G20サミットのアジェンダと多くが相関している。
すなわち、それぞれの公益法人にて公益活動を行う上で目標に設定している課題は、実はG20の主要議題、SDGsでの開発目標と無関係ではなく、むしろ相関的な共通課題が綴れ織りのように絡まっているのが実情なのである。

しかしながら、昨今の公益法人を含む非営利活動推進するセクターを振り返ると、世界的にも自国第一主義・排外主義・差別主義の波及・蔓延が叫ばれ、世界および日本の市民社会スペースの狭隘化が大きな社会問題となっており、公益活動を阻害する要因が多く内在している。
日本国内において公益法人を含む非営利組織の活動が、自由でより効果的に実施されることにより、社会の安定や経済の発展、環境の保護、そして市民力の推進により、SDGsが目指す「誰一人残さない」世界の実現に大いに寄与しなければならない。
そのためにも、公益法人セクターが果たすべき役割は決して少なくないと確信している。
まずは、公益法人にたずさわる一人一人が、今年11月に、また来年6月に大阪で開催される
G20サミットに関心を持ちことから始めようではないか。
そして初めて小さな一歩が、未来への大きな扉につながることとなる。

2018年6月


大学と地域社会の多様な関係を創り出すために

山岡 義典((公財)助成財団センター理事長、(特活)市民社会創造ファンド運営委員長)

この9日と10日、小雨降る立教大学のキャンパスで日本NPO学会の大会が開かれた。
同学会は1999年3月に慶応義塾大学で発足、同時に第1回の大会が開催されたので、今回は20回目にあたる。

NPO法(特定非営利活動促進法)が施行されたのは、その少し前の1998年12月であるから、学会はNPO法とほぼ同じ年齢を重ねてきたことになる。
この12月のNPO法施行20周年に向けては、NPOの関係者たちが様々な企画を各地で準備しており、この20年間をどう考えるかが大きな話題になっている。
今回の大会でも、そのような視点の研究テーマがいくつか散見されたが、今はまだ助走のレベルといってよい。研究や議論が本格化して深まるのは、来年の大会かもしれない。
 
ところで今回印象に残ったのは、この春に大学を移動したり、大学に転職した若手・中堅との多数の名刺交換だ。
その中には非営利組織の現場を経験した人も多い。
NPO法が成立して暫くは非営利組織から多くの人が大学に迎えられたが、近年はポストも埋まったのか、動きが少ないように感じていた。
それだけに、新しい動きを感じさせるものがあった。

出会った人の多くが、大学と地域社会の結びつきのコーディネート役を期待されているようにも思われた。これからの大学のありようを考えると、それは大変重要な役割である。
大学と地域社会という関係では、行政組織や企業との関係とともに小さな民間組織の地域活動や市民活動との関係がさらに重要に思う。
それは教師たちにとっての身近な調査研究フィールドとしても意味があるし、学生たちのゼミ活動やボランティア活動、あるいは少し長期のインターンシップ先としても大きな意味がある。
また、地域活動や市民活動の側からも、その活動を活発にする上で大学や学生たちへの期待が大きいのではないか。
 
このような大学と地域社会の多様な関係を創り出していくためには、現場も分かり広くネットワークを築いていける相応の人財がいる。アカデミズムの内部からだけでは限界があろう。
公益法人やNPO法人などの民間非営利組織は、すでに潜在的にはそのような人財の宝庫のように思う。
それをもっと顕在化し促進することが必要だろう。
そのことは非営利組織の側の人事も活発化させ、活動そのものを開かれたものにしていく。
そのためには、転職だけではなく非営利組織と大学との柔軟な兼職の可能性を広げることも重要だ。

2018年5月


「老いた幼児」にならないように

高橋 陽子((公社)日本フィランソロピー協会 理事長)

最近刊行された、内田樹氏編著の『人口減少社会の未来学』(文藝春秋、2018)によると、2024年には3人にひとりが高齢者となるようだが、氏曰く、人口減少が問題というより、外側は老人で中身はガキという「老いた幼児」が多くなることが問題だというのだ。
数年前、ある評論家が「団塊の世代の特徴は、過度な経済志向と個人主義という名の下の私生活主義だ」ということを言っていたことを思い出した。
筆者も団塊世代のしっぽにいるので、自己批判を込めて考えてみると、敗戦後の価値観の変化により、家より個人、義務より権利、もっと豊かに、もっと便利に、そして我々は最大のマーケット、という日常的な雰囲気の中で育った。
そして…今。
学生時代、マズローの欲求5段階説というものを学んだ。
ご承知の方も多いと思うが、人間の欲求には5段階あって、生理的欲求、安全への欲求、社会的(帰属)欲求、尊厳(承認)欲求、そして自己実現欲求となる。
まさにこの自己実現をめざして駆け抜けてきたのが団塊の世代かもしれない。
定年を迎え、さて、関心事はといえば、趣味や旅行、健康、ボランティアも含め、自己実現欲求への階段をまだまだ上っている。

1991年から民間の公益活動に関する仕事に携わっているが、当初は社会貢献やボランティアは奇特な人がするものだった。
しかし、最近は、新聞にも日常会話にもあたりまえに出ており、市民権を得てきたことを実感する。
ただ、社会課題もどんどん深刻化、複雑化しており、自己実現型活動では間に合わないのも現実である。
このところ、関心が高まっているSDGsだが、めざすべき「誰も置き去りにされない社会」を実現するためには、相当の覚悟ある取り組みが必要となる。
Win Win など言っている場合ではない。
皆が持ち出しながら取り組まなければ、と思う。
そして、今、マズローが生きていたら自己実現が最終段階とは言わないのではないか。
実は・・・・・。
マズローは、第6段階を考えていたのだそうだ。
それは自己超越(コミュニティの発展)だとか。
マズローさんはやっぱり偉かった、と自分の不勉強を棚に上げ、膝を叩いた。
亡くなる直前に、それを公表したらしい。
ロシア系ユダヤ人である彼がアメリカで生きていくための制限があったのかもしれない。
いずれにしても、とても納得している。

さて、これからの高齢者の中核をなす団塊世代。
同書の中で、「経済活動の本質は人間の成熟を支援するためのシステム」だと指摘している。
では、なぜ、戦後日本人の経済活動は、市民的成熟と結びつかなかったのか? 
そのあたりについては、是非、同書をお読みいただきたい。
高齢者1年生の団塊世代の人たちには、マズローの理論を待つまでもなく、「老いた幼児」ではなく、
地域のため、次世代のために尽くす「かっこいい老人」の姿をめざし、その仲間を増やしてほしいと切に願う。
自己実現の捉われから解放されると、人生、下り坂も案外おもしろいかもしれない。

2018年4月


新しい公益資金を呼び込む制度を

片山 正夫(公益財団法人「セゾン文化財団」常務理事)

新公益法人制度がスタートして今年で10年になる。
しかし、私の周囲(文化・芸術分野)では、この制度を利用して助成型の公益財団法人を設立したという話をほとんど聞かない。
公益法人全体を見ても、新制度発足後に新設された一般法人が4万を超えるなか、公益認定を受けたのはそのうちの2%にも満たないという。
個人的にはもう少し増えるものと思っていたが、期待外れという印象は否めない。
新しい公益法人がどれだけ増加したかは、制度改正の成否を評価する大事な指標だけに、この状況は残念というほかない。

なぜ数が増えないのか、助成財団について考えてみよう。
例えば、ここに事業で成功した人物がいる。
かれは公益的な目的のために私財を拠出し、基金を造成して、そこから助成金を出したいと考えている。
このとき、その人に成り代わって想像すると、お金の受け皿となるべき魅力的な法人格がうまく見当たらないことに気づく。

まずNPO法人は基本的に事業型の社団だから、これはNG。
公益を前提条件にしない一般財団法人では、ステータス面でやや難がある。
基金の運用益で助成金を出していくことを考えると、せめて利子・配当課税くらいは免税にしてもらいたいものだが、そう考えると選択肢は公益財団法人しかない。

ところがこれがなかなか厄介そうだ。
いろいろと細かいルールがあり、なかには何の意味があるのかと思うものも少なくない。

自分が汗水たらして働いてつくった財産なのだから、もっと自由にやりたい。
評議員会、理事会と、似たようなものをふたつもつくったうえ、2週間あいだをおいて開催するなど面倒だ。
理事会をつくるなら、人数の比率など気にせず、家族と親しい友人だけで構成したい。
立入検査で、アルコール入りの会議は控えろなどと余計な“指導”もされたくない。
時には(あくまで時には、である)支援した皆さんに囲まれてワインを振る舞い、素敵なおじいちゃんだと褒められもしたい…

私の知る限り、巨富を築いた人々は総じて縛られるのが大嫌いだ。
まして1銭もお金を出さない人に、ああだこうだと言われたくはない。
ただ、とはいえ ―ここからが重要だが― 社会に貢献したいというかれの意思そのものは、“ほぼほぼ”純粋なものなのである。
少なくとも制度を悪用し、あるいは課税をまぬかれることを目的とはしていない。

しかるに今の公益法人制度に照らせば、これは公益になじまない態度ということになる。
そういうふうにやりたいのなら、税制優遇のついた公益法人を目指すのはお門違いだとうわけだ。

おそらく公益のために私財を投じようとする人たちの大半は、私利私欲を全く捨て去った「聖人」でもなければ、制度の悪用を狙った「悪人」でもない。
たいていはどちらでもない普通の人間なのだ。
今の制度は、「悪人」を排除するために、「聖人」になることを強いているようでもある。

考えてもみよう、公共のために私財を供出してもよいと考える人たちは、いわば社会の宝物のような存在ではないか。
であるならまずもって、かれらにとって魅力的な制度をつくるべきだというのはおかしな考え方だろうか。
社会にとっても、制度が魅力的なら出てきたかもしれない公益資金を取り逃すのは、大いなる損失であるはずだ。

助成型財団についていえば、公益性を客観的に証明しつつ、こうしたマネーの受け皿となるような(つまり、細かな制約の少ない)制度を仮想することは、そう難しいことではない。
税制優遇つき法人の設立はとりあえず幅広に認め、もっぱらお金の出口を事後チェックする仕組みにすればよい。
出口とはつまり、毎年の助成総額と助成先だ。
額についてはペイアウトルールを導入すればよいだろうし、助成先についても、出捐者や理事の私益につながるようないわゆる“お手盛り”助成かどうかくらいは、その分野の専門家なら助成先リストをものの3分間も眺めれば判定できることだ。

助成型財団をやっているとしばしば経験することだが、机上で考えた制度(助成財団で言えば助成プログラム)が本当に機能するかどうかは、やってみないとわからない部分が多い。
そうであれば、違った発想に立った制度を社会実験的に試し、あるいは制度どうしを競わせて成果を比較するなどのことができればと思う。

現在公益信託制度の改正の検討が進められているが、少しずつ公益法人制度に近接しつつあるようだ。
これも、その意味からすれば少々もったいない気がする。
まったく違った発想に立った制度をデビューさせたほうが社会的な意味もあるし、公益に関心を持つ人間がどのような性向をもっているかを知る手がかりにもなるだろう。

誤解を恐れずに言えば、民間公益活動に求められる革新性や先駆性を具現化していくには、奔放で猥雑なエネルギーを取り込んでいくことも必要なのだ。
「水清ければ魚棲まず」にだけは、ならないことを祈りたい。

2018年3月


公益目的事業ということ

鈴木勝治((公財)公益法人協会 副理事長)

本年(平成30年)12月1日は、新公益法人制度が施行されてから10年にあたる。
このためこの施行10周年を記念して当協会でもシンポジウム等を開催する予定である。
シンポジウム等については、詳細が決まり次第広報されると思われるので、ここでは、10年以上昔のいわゆる公益法人改革三法、なかんずく公益認定法制定時の思い出を書いてみたい。

三法とも国会での成立は平成18年6月2日であるが、その前段階における立法担当者による原案の作成には遅速があった。
一番遅れたのが公益認定法のそれであり、この法律が新しい公益法人制度の根幹をなすだけに、今か今かと待ち構えていた記憶がある。
ようやく得たその成案をみて、個人的に驚いた点は数多くあるが、なかでも第2条の4号の「公益目的事業」という言葉には若干の違和感を覚えた。
自らの不明や浅学を恥じるばかりであるが、その当時は、公益法人は一般用語として使われている「公益事業」を行うものとばかり個人的には思っていたことから、「公益」と「事業」の間に「目的」という言葉が入る理由が分からなかったからである。

しかし、この法律案をよく読んでみると、第1条に「(前略)“民間の団体が自発的に行う”公益を目的とする事業の実施が公益の増進のために重要となっていることにかんがみ、当該事業を適正に実施し得る公益法人を認定する制度を設けるとともに、(後略)」とあり、「公益目的事業」という言葉は、「公益」と「目的」と「事業」を合成したものであるということが分った。
そしてより重要な点は、“ ”で括った部分の「民間の団体が自発的に行う」という前提が入っていることであり、このことにより世間一般で使われている「公益事業」という言葉とは根本的に違うということが納得できた次第である。

念のため「公益事業」を法律学辞典で引いてみると、「労働関係調整法上は、運輸、郵便、信書便、電気通信、水道、電気、ガス、医療、公衆衛生上の事業であって、公衆の日常生活に欠くことのできないもの及び内閣総理大臣が指定した事業をいう。」(『有斐閣法律用語辞典第4版』)とされており、この定義は「公益目的事業」とは明らかに異なっている。
立法者がここまで注意して法律用語を創出していることに感心したところである。
最近当局の検査等において、公益法人の行っている事業は「公益事業」であるので、官乃至はそれに準ずる団体が主導するその事業の規律乃至は規則等が適用乃至は準用されるべきといった指摘がままあると聞いている。
確かに公益法人の行っている「公益目的事業」の中には、法律用語としての「公益事業」と同一の性質をもつものがあり、その限りにおいて同様の規律等が適用されるべきという考えは分らなくはない。

ただ、上述の通り「公益目的事業」は、民間の団体が自発的に行っているものであり、その資金の性格や出捐者(あるいは事業の提唱者)の志が第一義的に反映されるべきことはいうまでもない。
従って上記の規律等は参考としつつも、民間が自発的かつ自由にその事業を遂行することができるのは当然のことと考えるが如何であろうか。