2012年1月


昇竜にも似た飛翔の年に

公益財団法人 公益法人協会 理事長 太田達男

 昨年は、大震災・津波・放射能汚染により東北3県を中心として壊滅的被害が発生し、死者・行方不明2万人近く、損傷を受けた建物65万戸、そして厳寒の時期を迎えたこの時期に、未だ30万人を越す方々が、仮設住宅はじめ仮住いで不自由な生活をされている現状に、本当に胸が痛む思いです。

 また、欧州財政危機とその影響で日本経済も不況が続きます。
 このような状況を引き継いでの新年ではありますが、私たち日本国民は、その叡智と活力を発揮し、この国難を克服し、さらに新しい社会を作り上げる“昇竜にも似た飛翔の年”としたいものです。

 とくに、私たち民間の公益活動の一翼を担う組織としては、本来の事業である活動を推進することが最も大切ですが、被災地の復旧・復興に向けた長い時間がこれからも続くことを考えますと、本来の事業目的に合致し、かつ、被災地・被災者の方々を念頭に置いた施策を考えていただくことも重要な時期と考えます。

 公益法人の支援事業は、専門性が高く、持続的で波及効果もあるという評価をいただいておりますが、一つ一つの事業は小さくても、全部足し合わせれば大きな力と効果を生み出すものと思います。
 もちろん、政府にはこれを後押しする税制はじめ各種の支援措置を引き続きお願いしていきたいと考えています。

 昨日は、野田内閣における最初の「新しい公共」推進会議の会合が開催されました。
 今回より、公益法人界からも一人ということで、私が委員の一人として参加させていただきました。
 席上、今後検討すべき課題を自由討議しましたが、私からは、
① 公益法人制度改革3法の施行状況の検証と見直し
② 税制、とくに財産寄附および法人からの寄附についての拡充整備
③ 非営利法人の自発的で創造的な公益活動を制約する各種法令上の規制の見直し
の3点を提案した次第です。
 今後、この会議の場においても皆様方のご要望等を発信して行きたいと考えています。

 さて、特例民法法人の新制度への移行期間は2年を切りましたが、全国的には70%近くの法人が、これから申請という状況です。 
 一方、最初の頃の、森の木一本一本を見て、あれこれ問題点を指摘するという「木を見て森を見ざる」審査から、全体として、審査方針はかなり柔軟になり、森全体を見て判断する大局観を持って臨む姿勢に変わってきていると評価されます。
 ただし、新制度の理念である民間の自発的な公益活動を推進するための改革という理念が、現場の審査担当官に十分浸透していない恨みがあり、とくに、財務・会計基準について法令からは読み取れない指導を受けるなど、旧主務官庁制度下における裁量行政と同じ感覚から抜け切れない、不適切な事例も出てきております。
 これらについても引き続き是正要望を続けていきたいと思っています。

 公益法人とよばれる旧民法法人は、申し上げるまでもなく、実にさまざまな分野で社会に貢献しています。社会にとって不可欠なインフラを、政府でもない企業でもない、文字通り第3のセクターとしての立場から担ってきております。
 時代が移り変わり「新しい公共」の推進ということが大きく叫ばれている今日、公益法人はまさにその重要な担い手です。

 おそらく困難な環境が続くと予想される2012年ですが、今年も私ども公益法人協会は精一杯頑張りますので、どうか皆様におかれては、夫々のお仕事に誇りを持って立派な事業を進められ、あわせて公益法人協会へもより一層のご支援、ご指導をお願いいたします。

(「公益法人協会 新年懇親会」(1/12)の席上における理事長ご挨拶を編集したものです)

2011年12月


林雄二郎先生が残されたもの

特定非営利活動法人 日本NPOセンター 代表理事 山岡 義典

 この11月29日の早朝、林雄二郎先生がお亡くなりになった。
95歳。眠りについたままの安らかなご逝去だったとお聞きした。
いかにも、林先生のお人柄にふさわしい。改めて心からご冥福をお祈り申しあげたい。

 林先生は、1974年10月のトヨタ財団設立とともに専務理事に着任され、ここから猛烈な情熱で、日本のフィランソロピーの世界を開拓された。私はその着任2年後にお会いし、その情熱に魅せられて、この世界に入った。その後の先生のご活躍は、ここで改めて解説する必要もないだろう。

 公益法人協会に関していえば、理事としては1986年6月から一期2年と、2002年4月から二期4年、その後はお亡くなりになるまで顧問を務められた。しかし、先生の果たしたお仕事は、役職だけで測れるものではない。協会の機関誌『公益法人』への寄稿やインタビューによる時機を得た刺激的なご発言、各種の調査研究委員会におけるご指導など、枚挙に暇がない。

 先生は未来学会の中心的なリーダーでもあった。ただ、世間の未来学観には相当な不満があったらしく、「未来学というのは、何年後にどうのこうのと予測する学問じゃあないんだよ。現在の社会の中に未来の兆しを見つけだすのが未来学なんだ」と、よく言われたものだ。
 私たちには常に、「未来の兆しを見つけだせ。それに応えるのが財団の仕事だ」と、叱咤激励された。
これは、その後の私にとっての根本的な思考方法になった。

 「財団」を「NPO」に置き換えたのが今の私の仕事であるが、当然、これは「公益法人」にも置き換えられる。 
 公益法人制度改革がスタートしてこの11月末で3年を経た。この3年間を、林先生はどのような思いでご覧になっておられただろうか。

 未来の兆しは、現在の思考枠組みに囚われていては見えてこない。その点で主務官庁制のもとにあっては、その発見も、それに挑戦することも難しい。そこから解き放たれた今、新しい公益法人は、まったく新しい視点で現代社会に未来の兆しを発見する足場を得た。
 その足場を本当に生かしているのか、生かす努力をしているのか。恐らくは、そんな気持ちを抱きながら見ておられたに違いない。

 私たちは、林先生の残されたものを、しっかりと受け止めていかなければならない。

2011年11月


オリンパス、エリエールの教訓

公益財団法人 公益法人協会 理事長 太田達男

 オリンパスは言わずと知れた世界的光学メーカー、エリエールは少なくとも日本では家庭用紙製品の有名ブランド。
 
 オリンパスでは、90年代初頭から財テクの失敗による巨額の損失を、経営トップの指示で飛ばしにより粉飾決算を続けてきた。エリエールは、親会社大王製紙の創業者3代目が巨額の資金を関連会社等から私的に引き出していた。
 いずれ司直等の手により全容が解明されることとなろうが、そもそもこれらの行為を長期間にわたり見逃してきた取締役会、監査役、会計監査人などの責任はどのように問われるのか、今後一つの焦点となろう。

 公益法人制度改革に当たり、機関運営などガバナンスに関わる経営規律の多くは、会社法を参考としていることは誰でも知っていることだが、この両事件では、まったくこれらのチェック機能が働かなかったことを、どう考えればよいのだろうか。

 翻って、公益法人界においても、近くは、漢字検定協会事件(2009(平成21)年)、遠くは政界まで巻き込んだ、いわゆるKSD事件(2000(平成12)年)が記憶に新しい。
 この両事件はいずれも経営トップ(理事長、会長など)の財団事業と財産の私物化であった。理事会・評議員会・監事等は形だけで、経営トップの公私混淆には、まったく無力であった。

 一般法人法は、会社法をモデルに規定され、公益法人・一般法人の経営は重装備ともいうべきルールに則る必要があるが、これらの事件は、いくら精緻で複雑なガバナンス、牽制機構を構築しても、経営トップが関与するような事件を防止することは大変難しいということを教えてくれる。

 そもそも、投資家や債権者を保護し、企業価値を最大化する観点から組織のあり方や規律を考える会社組織と、受益者たる一般市民を保護し、市民の支持と共感を最大化する視点からの非営利法人組織は、組織構造が同じであってよいのかどうか。
 特に、公益法人の場合、財務・会計の複雑怪奇ともいうべきルールがこれに加重される。

 法律や会計の専門家でないと正確に理解できないような、新公益法人・一般法人の経営規律は、非営利法人の経営にとってかえって、外形的・表面的ルールに目を奪われ、法人の本来あるべき姿を見失う結果にならないか。
 
 新制度施行後すでに3年、オリンパスとエリエールの事件は、我々非営利法人関係者にとっても、多くのことを考えさせる出来事だ。

2011年10月


なぜ、公益法人にパブリック・サポート・テストを課するのか?

公益財団法人 セゾン文化財団 常務理事 片山正夫

 現在の寄附税制においては、税額控除制度の適用を受けようとする公益法人は、認定NPO法人の認定要件であるパブリック・サポート・テスト(PST)と同様のテストにパスしなければならない。
 
 これに対して公益法人協会では、NPO法人と公益法人は、そもそも制度的に異なるものであり、公益法人はすでに、ガバナンス、財務から、認定取消時の残余財産の処分に至るまで、厳格な規律のもとに認定され運営されているのだから、屋上屋を重ねるようなPST要件は不要とすべきとの意見を提出している。
 
 これには全く同感である。ただ一方で、公益法人はすでに厳しい要件をクリアしているではないかという主張以前に、そもそも、これらの制度が誰のために何を実現しようとするものだったのかを、改めて問うていくことが必要ではないかとも感じる。
 
 周知のとおりPSTは「その法人が多くの市民から支援されているか否か」を測定するものだ。しかし、それによって何が判定されているのかは、実際のところ解りづらい。
 一方の特定公益増進法人の場合は、「公益の増進に著しく寄与する」と、あたかも寄附税制を優遇する根拠を「公益性の高さ」に求めているような書きぶりだから、これとの見合いからすれば、PSTもまた、「公益性の高さ」を判定するものと考えるのが自然に思える。 

 だが、大勢の人から寄附をもらっていることは、公益的が高いことの一つの表れではあるかもしれないが、公益性の高低をそのまま反映するものではないはずだ(これだとフォード財団の「公益性」は相対的に低いことになってしまう)。 そうだとすると、PSTはいったい何を判断するものなのだろうか? 
 
 結局のところ、これは「寄附受け入れの実績を有するなら、寄附優遇団体としての適格性を有する」という命題を単になぞるものにすぎないといえる。ここで、この命題の真偽を議論するつもりはないが、問題は、これが真であるとして、どうして裏命題である「寄附受け入れの実績を有さないなら、(税額控除を受けられるほどには)寄附優遇団体としての適格性を有さない」まで真になるのかということである。ここには論理の飛躍がある。
 
 公益法人が、(寄附税制の優遇に足るという意味での)公益性を認定にするにあたって、認定NPOと異なった考え方を採用したことは、本来多様である「公益性」をすくい上げるうえで好ましいことであった。むしろ、異なった仕組みを一国二制度のように併存させる意味があるとすれば、公益のあり方が「一つの考え方」だけでは定義しきれないことを制度に反映させた点にある(そこにしかない)とさえいえるのではないか。
 
 もしそうなら、この問題は、公益法人制度とNPO法人制度が、わが国の公益活動にとってどういう関係をなしているのか、あるいはどういう関係に今後していくべきか、といった地点からもう一度問い直すべき事柄のように思えてならないのだが。

(公益法人法制委員会委員長)

2011年9月


復興支援に公益の原点をみる ―苦難をともに、今こそ公益法人の出番―

公益財団法人 公益法人協会 理事長 太田 達男

 3・11から早や半年が過ぎた。

 福島県浪江町視察の後、姜尚中氏(東京大学大学院教授)から出た言葉は、
 「白昼夢を見ているようだ」
 「みんな嘘ではないか」
というものであった(サンデーフロントライン、テレビ朝日、9月11日放映)。

 被災された方々はもちろん、現地に赴いた人も、テレビ等でその光景を見た人たちも、平和で美しい故郷が、愛する家族や住居など生活基盤とともに一瞬にして失われた出来事を、一様に「嘘であってほしい、夢であってほしい」と願っておられると思う。

 しかし、これは現実なのだ。そして、未だに避難生活を続ける方々、雇用機会を失った方々をはじめ、何十万人という方々が、生活再建の目処が立たない状況に苦しんでおられる現実に目をつぶることはできない。

 多くの公益法人が3・11直後から、ボランティア活動、物資支援、様々なケア活動、チャリティーイベント、専門家集団としての救援や調査協力、そして資金的支援(寄附や奨学金・助成金等)など、それぞれの法人ができる限り精一杯の活動に取り組んできている。

 国・地方自治体は、何よりも最優先して復旧・復興に全力を傾注しているとは思うが、行政や営利企業の手の届かない公益法人など市民社会組織が担うべき適切な分野はいくらでもあると思う。

 公益法人の出番は、まだまだこれからも続く。

 弊協会が6~7月に実施したアンケート(*)によれば、多くの法人が、一過性の救援・支援活動に終わらせることなく、これからも長期的に持続性のある活動を続けていきたいとしている。公益法人の事業は多岐にわたり、しかも、それぞれの専門性は抜きん出ている。本来事業の延長線上で、今後の復旧・復興活動に取り組むことが可能なことも特徴的だ。一般法人移行に必要な公益目的支出計画の対象事業に据えようとする法人も増えてきている。

 1000年に1回ともいわれるこの巨大な自然災害の支援活動こそ、公益法人に課せられた究極の公益活動だと思う。定款による目的事業の制約については行政庁もきわめて弾力的な取扱を考慮しているし、税制上の支援措置も手厚い。

 本来の目的事業とのバランスも考慮する必要があることはもちろんであるが、創意工夫による公益法人の更なる活動を期待される。

*「公益法人制度改革に関するアンケート(含:東日本大震災の影響及び同震災への対応等について)」の報告は、下記をご覧ください(公益法人協会ホームページ、Topics、9月14日付)。
http://www.kohokyo.or.jp/kohokyo-weblog/topics/2011/09/post_250.html

2011年8月


66回目の敗戦記念日に、大震災復興を想う

公益財団法人 公益法人協会 理事長 太田 達男

 今日は第2次世界大戦の敗戦記念日だ。

 神戸の実家を焼き出され、命からがら一家で疎開していた私は当時小学校6年生、
8月15日正午、昭和天皇のいわゆる玉音放送を、疎開先農家の庭先で両親や近隣の人たち
と聴いた。
 雑音が入りよく聞き取れなかったが、両親が「戦争が終わった」と教えてくれた。

 この無謀な戦争で、日本人は兵士が約230万人、原爆による死者は広島14万人、
長崎7万人、東京大空襲、沖縄戦でそれぞれ約10万人などはじめ、一般市民も80万人以上
の命が失われた。被災建物も230万戸、当時のGNPの1.3倍の国富を失ったという。

 大豆粕やサツマイモの蔓なども食する極端な食糧難、猛烈なインフレ、そして主要都市が
焦土と化した当時は、もちろんどこかからの義捐金や物資の支援もなく、仮設住宅が設けられる、
ボランティアが瓦礫を片付けてくれるなどということもあり得なかった。 

 しかし、私は子どもだから別として、周囲の大人たちも妙に明るかった。愛する父親、夫、
息子たちが、これ以上死地に赴くことはない、近所のおじさん、おばさん、子どもたちが焼け
死ぬことはない、そんな安堵感。

 そして、ほとんどの日本国民は均しく、戦争の被害者・被災者であり、これ以上失うものも
ないゼロからの人生の再出発と経済の復興に向けて、同じ条件で立ち上がる連帯感のような
ものがあったのではないか。さらには、民主主義という新鮮な制度に対する期待感と興奮も
大人たちは感じたのではないか。

 ところで、東日本大震災。

 被災者の数や被害総額は戦争とは比べ物にならないくらい小さいにもかかわらず、なぜ今、
私たちは無力感というか、脱力感や先への不安感から抜け出ることができないのであろう。
 被災地の悲惨な状況と無縁のところで、今までとほぼ同様に生活できる大多数の人と、
それまでの幸せな家庭と生活を一瞬にして失った人との較差があまりにも大きいからでは
ないだろうか。

 今回の災害と無縁であった人々は、70年前と異なりほぼ同時的に、この世の地獄の
ような状況をテレビ等で知り、ノーベル賞受賞者・野依良治博士が震災直後に「生きている
ことが申し訳ないとすら感じる」と語っていたように、自分が幸せに生きていることにすら、
何か原罪めいた気持ちを抱く人も多いのではないか。

 私の周りには「人生観・死生観が変わった」という人も多い。

 先の見えない放射能被害の広がりや政治の混迷、そして深刻な国家財政の状況なども重なり、
日本の戦後の高度成長と豊かな経済大国化の過程を経験してきた多くの人々にとっては、
あまりの落差にやりきれない気持ちになっているのではないか。
 
 しかし、みんなが食べることに精一杯という敗戦の時と明らかに違うのは、みんなで
助け合うことができるということだ。そして、何か自分にできることはないかと、
みんなが考えていることだ。
 敗戦当時はなかった市民社会組織、ボランタリズム、寄附文化というものが生まれ育ち、
被災を受けなかった人たちは、これらに参加することができるという点だ。
 私は、この点に明るさを見出したい。

 行政や市場主義では対応できない隙間が必ずある。
これらは、公益法人や特定非営利活動法人など、多くの非営利組織が中心の市民社会組織が
埋めていくことができる。
 一人ひとりができる形での市民参加、これが今後の復旧、復興の鍵となろう。

2011年7月


パヴァロッティの弟弟子の夢をかなえられないか

公益財団法人 公益法人協会 理事長 太田 達男

 その日、宮城県東松島の美しい海岸にあるフリースクールと隣接する新築のデイサービス・宅老施設は甚大な被害を受けた。幸い、入り江の奥近くであった地形からか流失は免れたものの、二つの建物は1階天井まで浸水、宅老所2階には、近所の人を含め10人以上が避難した。

 その時「助けて」という悲鳴。電信柱に女性が掴まっている。フリースクールの塾生が飛び込み2階に収容した。さらに、入り江に切り立つ崖のほうからも悲鳴。別の塾生と職員がちょうど流れ着いた小舟を漕ぎ出し、崖の岩に掴まっている女性を助けた。
 低温で意識も失いかけている二人の女性の体をみんなでさすり、蘇生させた。

 宅老施設は2月28日に引渡しを受け、3月5日に落成式を終えたばかりで、4月1日に開所の予定であった。
 この二つの施設を経営するのは、特定非営利活動法人「創る村」代表飴屋善敏氏。
 氏は、教育基本法前文にある「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」との理念の下、50年以上教育に携わってきた教育者である。
 フリースクール活動を通して、校内暴力、登校拒否、受験戦争など数多くの問題に悩める子供たちとともに取り組み、疲弊しきった社会を立て直したい、そして、敬老こそ高齢者福祉の原点という考えから、高齢者福祉施設の経営にも乗り出した。

 フリースクール施設と隣接して4,400万円かけて建築したデイサービス・宅老施設は、現在78歳になる飴屋氏の最後の夢を実現するはずであった。
 柱だけ残った1階部分を修繕しこの高齢者福祉施設を開所するためには、さらに1,800万円の資金が必要という。一刻も早くとの願いから、山形県の業者の好意で突貫での修繕工事を依頼し、8月にはオープンできる予定とのことだが、まったく資金的なメドが立っていない。
 公的資金はもちろん、共同募金のような準公的助成金もこのようなケースの場合支援はできないという。
 飴屋氏は差押さえも覚悟していると洩らす。

 東日本大震災は、地域社会にとって不可欠なこのような社会資本に大きな爪痕を残している。
 お金は集まるところには集まるが、集まらないところには少しも集まらない。
 当たり前のようなことだが、このような隙間のニーズにきめ細かく、迅速に、そして前例に捉われず対応できるのは、非営利セクターだけではないだろうか。

 面談を終え、別れ際に「私は、パヴァロッティの弟弟子。これを聞いてください」とCDをいただいた。帰宅後調べると、確かにパヴァロッティを育てた名教師アリゴ・ポーラに師事した飴屋氏は、日本人では数少ないベルカント唱法の歌手でもあることが分かった。

 美しい松島湾を背景に歌う、若かりし飴屋氏のラベル。そして「カタリカタリ」「松島音頭」など14曲を聴きながら、氏の心情を思うとき、万感胸に迫る思いであった。

2011年6月


NPO法の抜本改正が意味するもの

特定非営利活動法人日本NPOセンター 代表理事 山岡義典

 本日(6月15日)午前、参議院本会議で特定非営利活動促進法(NPO法)の抜本改正が成立した。議員立法によるもので、両院とも全会一致。与野党激突の中、NPO議員連盟の皆さんのご尽力に感謝する。

 NPO法人シーズを中心とした市民団体側の連携した要請活動も、成立への勢いをつけた。2月と5月には国会議員会館で集会を行い、全国各地から400人を超えるNPO関係者が出席、各党のNPO議連議員が力強い約束をした。
 本年度の寄附税制改革も成立していないという異色の通常国会で、まず来年度からの体制がまず整ったわけだ。

 今回の改正の一番大きな点は、認定NPO法人制度をNPO法に取り込み、担当を国税庁から所轄庁に移したことにある。ぐっと身近なところで申請できる。しかも「仮認定制度」もできた。もちろん本年度から始まるはずの絶対値基準による認定制度(3000円以上の寄附をした者が100人以上)も取り入れられている。認定NPO法人の大幅な増加が見込まれる。

 NPO法人の認証制度自体も見直された。内閣総理大臣は所轄庁でなくなり、主たる事務所のある都道府県知事に移る。会計制度では「収支計算書」がNPO提案の「活動計算書」に改められた。さらに17の活動分野に3つの活動が加わった。①観光の振興を図る活動、②農漁村及び中山間地域の振興を図る活動、③都道府県又は指定都市の条例で定める活動だ。

 NPO側が求めた「特定非営利活動法人」を「市民活動法人」に、「特定非営利活動促進法」を「市民活動促進法」にという要望は実現しなかったが、それ以外は、ほぼ実現した。あとはNPOの側が、これをどう使いこなし、どう社会の信頼を得ていくかにかかっている。

 一般に法人制度の改正はなかなか難しい。公益法人制度の大改革には110年かかった。しかし社会の動きは早い。社会の実情に合わせた改正は、常に問い続けなければならない。

 新しい一般・公益法人制度も施行2年半が過ぎた。あと2年半で移行申請は終わる。その時期を見据えた抜本改革への取り組みを本格化すべきだろう。
 公益法人協会では、この5月に「非営利法人法研究会」を発足させた。大いに議論を活発化させることを期待したい。同時に、その成果を実現するための運動体制も整えていかなければならない。「法人制度は我々が変えていく」という意気込みを、持続してもちたいものだ。

(公益財団法人 公益法人協会 評議員議長)

2011年5月


そのとき、公益法人も動いた!

公益財団法人 公益法人協会 理事長 太田 達男

 東日本大震災の爪痕は余りにも大きい。

 未だ10万人を超える避難所生活を余儀なくされる人々、半数が身元も確認できない遺体、遅々として進まぬ仮設住宅、未だ被災者に行き渡らない義援金、瓦礫の処理も大半が残る、そして出口の見えない福島原発問題等、まさに、国難ともいうべき事態が続いている。

 ノーベル化学賞受賞者である野依博士が、「自分が生きていることが申し訳ないという気持ちすらする」と、新聞で語っていたが、これは、日本国民誰しもが共有する、率直な感情であろう。

 今、公益法人も何かできることはないか、少しでもお役に立ちたいという気持ちに駆られ、それぞれの特質を生かしつつ、救援活動に取り組んでいる。

災害支援のプロとして設立された(公社)Civic Forceが、翌日から開始した大々的な現地救援活動。

今度は私たちの出番とばかり、3月27日から、ちゃんこ鍋7万5,000食を炊き出している神戸の(公財)こども環境フォーラム

翌日から、山手線各駅を順次街頭募金し、財団から同額を集まった寄附金に足して、毎日、被災地の市民団体等に送り続けた、(公財)さわやか福祉財団

いち早く国内外でチャリティコンサートを続ける、(公財)東京二期会

緊急医療・看護チームを派遣する(公財)結核予防会(公社)日本看護協会(公社)日本キリスト教海外医療協力会(公社)地域医療振興協会(公社)日本産婦人科医会など。

仮設トイレや避難所の臭気除去のため消・脱臭財を送る、(公社)におい・かおり環境協会

人口肛門・膀胱など着用被害者へストーマー装具を送る、(公社)日本オストミー協会

盲導犬など介護犬とそのユーザーに焦点を合わせた活動をする、(公社)日本動物福祉協会(公社)東日本盲導犬協会(公財)日本補助犬協会

世界93カ国が加盟する世界組織の支援も受けて、物資を世界から集め炊き出し活動に従事する、(公社)全日本司厨士協会など、本来の専門性を生かした迅速な活動。

また、被災地において救援活動に携わる特定非営利活動法人その他の市民団体に、血液ともいうべき資金を提供する募金活動を、いち早く立ち上げた、(公社)日本フィランソロピー協会(公財)日本財団(公財)信頼資本財団

米国社会中心に国際的な民間寄附金を専門に取り扱う、(公財)日本国際交流センターなど。

本来の助成・奨学事業を大震災救援のため、多少でも傾斜配分してプログラムを組む、(公財)大和証券福祉財団(公財)JR西日本あんしん社会財団(公財)トヨタ財団(公財)北澤育英会(公財)警察育英会

出捐企業の母体から向こう1年間、取扱荷物1個について計算される金額の寄附を受け(前年実績から計算すると130億円に達するという)、復興支援助成事業を開始した、(公財)ヤマト福祉財団などの、資金面での支援活動。

 この他、日本赤十字、中央共同募金、新聞社、公益法人協会などの義援金・救援基金へ、数多くの公益法人が、寄附をしていることが報告されている。

 このような公益法人の活動の多くは、専門性や募金活動を含む資金力に裏づけられたものであり、一過性のものではなく、今後の普及・復興に向けた、中・長期にわたる持続力にも、大きな期待が寄せられている。

 公益法人協会では、このような公益法人の活動のうち、税制上の要件を満たすものついては、指定寄附金の扱いを受けられるよう、4月上旬から、関係方面への提言活動を、精力的に行っている。認定特定非営利活動法人については、すでに4月27日にその指定を受けているが、公益法人を除外するのは大変不条理である。

 幸い民主党も理解を示していただき、5月12日には、党として、「公益法人も指定するよう」政府への申し入れをするところまで漕ぎつけたところである。1日も早い実現を待ちたい。

 なお、先に紹介したこれらの事例は、公益認定等委員会事務局の調査に応えて収集された300弱の公益法人の事例のほんの一部にしか過ぎない。

この他にも移行を済ませていない特例民法法人や一般法人の事例を合わせると、1,000近くの事例が記録されている。

 本稿で紹介できなかった事例も含め、公益法人等の被災者・被災地救援活動は、今、大きなうねりとなっている。

 関心を待たれる方は是非、公益認定等委員会のホ―ムページである、公益法人information 内「東日本大震災関連情報」 
https://www.koeki-info.go.jp/pictis_portal/other/east-japan-eq.html
を参照していただきたい。

2011年4月


アートにできること

公益財団法人 セゾン文化財団 常務理事 片山 正夫

 こんなときの芸術の無力さを思い知った――震災直後のアーティストの口からは、しばしばこんな言葉が聞かれた。アートなどやっている場合なのか、さりとて自分に何ができるのか、と。思えば16年前の阪神大震災の直後にも、アーティストたちは同じ台詞を口にしていた。

 しかしアートは、確かにガレキひとつ取り除くことはできないが、それほど無力でもない。アートがその力を発揮するのは、むしろ差し迫った危機が去ってからの、長い復興の過程においてである。阪神のときも、最初のうちこそ、被災地で演劇ワークショップをやろうとして怒声に包まれるなどの"事件"があったと聞く。だが、心のケアや地域共同体の修復にアートが果たすユニークな役割を、その後の長い時間のなかで人々は知ることになった。

 ところで今回の震災では、このような悲劇に際してもなお、冷静に我慢強く周囲との協調を保とうとする日本人の姿に、海外から賞賛の声が寄せられた。そのような報道に接すると、面映くもあり、誇らしくもある。ただ一方で、日本人には少々心配な側面もある。

 ひとつは、一方向にどっと雪崩を打つ傾向があることだ。今回も、メディアも含め世の中は震災一色となり、さまざまな立場から支援の手が挙がった。ここまでは当然のことだ。だが、被災者への支援に言及、関与しない(ようにみえる)人を過度に白眼視したり、「東北でこれだけ人が苦しんでいるときに」という判で押したような批判が幅を利かせるようになると、社会は黄信号である。そんなときアーティストには、いわゆる"炭鉱のカナリア"となって「気持ちの悪さ」を臆せずに表明してもらいたい。関東大震災の際、復興のため私心を捨て人心をひとつにという空気が、いつのまにかあのファシズムに形を変えていったことはよく指摘されるところである。

 もうひとつの日本人の性質は、熱しやすく醒めやすいということである。熱が高ければ高いほどその落差ははげしい。しかしこの悲劇は永く記憶として遺していかねばならない。関西在住の劇作家・演出家、深津篤史氏は、阪神大震災に遭い実家が全壊したが、いまなお震災に関する芝居を書き続けている。彼は、それを自分の傷痕と向き合い続ける営みだと話している。そして、被災者に今後「何で自分が生き残ったの?」という疑問が生じたとき、芸術はその心に寄り添えるかもしれないとも語っている。アートの大事な役割はここにもあるのだ。

 私が理事としてかかわっている公益社団法人企業メセナ協議会では、「東日本大震災芸術・文化による復興支援ファンド」を立ち上げ、いま広く寄附を募っている。アートを通じて被災者の精神的な回復を支援していこうという試みだ。まもなく第一回目の支援対象が発表されるが、息の長い取り組みになっていけばよいと思う。

 困難のなかで、アートの果たしうる役割にもぜひ関心を寄せていただきたい。

 (公益法人法制委員会委員長)

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